平家物語の群像 平重衡⑥般若寺の門の前にうち立つて
奈良坂から望む東大寺大仏殿重衡は、『平家物語』では「牡丹の花」に喩えられ、『平家公達草紙』には、「かたちもいとなまめかしく、清らなりけり」(容貌がとても若々しく、気品があって美しかった)とある。平家公達の中でも維盛(光源氏の再来)とともに美男子の代表格である重衡の女性関係は、やはり華やかだ。恋愛模様はさておき、性格はどうだったのだろうか。『建礼門院右京大夫集』(建礼門院右京大夫①愛する者の死...
View Article平家物語の群像 大納言典侍③今日を限りの 形見と思へば
平重衡卿之墓 十三重石塔は重衡の供養塔 安福寺 (重衡の菩提を弔うために建てられ、本尊の阿弥陀如来像は重衡の引導仏と伝わる)...
View Article平家物語の群像 千手の前①珍しい生い立ち
千手の前 (千寿の前)千手の前は、駿河国手越 (静岡市駿河区手越) の庶民階級出身である。母親が千手寺 (静岡県磐田市千手堂)...
View Article平家物語の群像 千手の前②ただ思ふ事とては出家ぞしたき
千手の前 菊池容斎画 江戸時代 『前賢故実』より狩野宗茂 (かのうむねしげ) は家人に指図して湯殿に湯を引かせると、重衡に旅の汚れを落とすように勧めた。重衡が、汗を流して身ぎれいにしてから殺されるのかと思っていると、20歳ほどの女房が入浴の際に身に着ける湯巻き姿で、湯殿の戸を開けて入ってきた。色白で、清潔な感じの美しい女である。それから14、5歳ほどの童女 (ワラワメ; 少女)...
View Article平家物語の群像 千手の前④物思ひの種とや成りにけん
傾城塚 (けいせいづか:千手の前の墓) 静岡県磐田市千手の前は、「一樹の陰に宿り、同じ流れの水を飲むのも、これ皆、前世からの契りがあってのこと」という白拍子の舞い歌を、しみじみと謡った。それから重衡が、『和漢朗詠集』の...
View Article平家物語の群像 源頼政①平家は「盛」、源氏は「義」と「頼」
源三位頼政 (げんざんみよりまさ 馬場頼政とも)平家一門の名前の後ろには 「盛」 の付くことが多いことは、広く知られている。忠盛・清盛・重盛・知盛・敦盛と、これまで拙ブログで採りあげてきたお歴々の大半にも、「盛」 がついている。忠度と重衡と教経にはなぜ、「盛」 がついていないのか、逆に疑問に思うほどだ。考えてみると、清盛の兄弟のなかでは忠度だけが、息子では重衡だけが、「盛」...
View Article平家物語の群像 源頼政②保元・平治の乱を生き残る
保元・平治の乱合戦図屏風 「白河殿夜討」 (江戸時代) メトロポリタン美術館所蔵 源頼政は、平時忠が 「平家に非ずんば人にあらず」...
View Article平家物語の群像 源頼政③のぼるべき たよりない身は
源頼政 菊池容斎画○人知れぬ 大内山の 山守は 木隠れてのみ 月を見るかな目立たない大内山 (大内裏) の番人は、 (地下人なので) 木に隠れるようにしてしか月 (天皇や公卿) を見ることができないこの歌によって正四位下を賜わり、清涼殿への昇殿が許された。当時の源氏一門としては珍しくすぐれた歌人であった頼政は、藤原俊成や俊恵、殷富門院大輔など、多くの著名な歌人と交流があった。作品は、『詞花集』...
View Article平家物語の群像 源頼政④雲の中に怪しき物の姿あり
初代・歌川国安 「源頼政対鵺 (ぬえ) 図」公卿らの評議の結果、 「堀河院も毎夜、物の怪に怯えられたことがある。その時は、源義家が弓を3度鳴らして、『八幡太郎義家』 と名乗ると物の怪は消えた。今度も武士にやらせよう」 ということになった。当時、宮廷や貴人の邸宅では、病気や雷鳴など不吉な出来事があった時は、弓弦 (ゆみづる)...
View Article平家物語の群像 源頼政⑤弓張月の いるにまかせて
源頼政公鵺退治之像 長明寺 兵庫県西脇市高松町近衛天皇は、頼政の手柄に対する褒美として 『獅子王』 という剣を与えた。宇治左大臣 (藤原頼長 悪左府) が取りついで、御前の階段を半ほどまで降りてきた。頃は4月10日過ぎ、ほととぎすが二声・三声鳴いて、雲間に飛んでいった。頼長が○ほととぎす 名をも雲居に...
View Article平家物語の群像 源頼政⑥恋しくば 来ても見よかし
宗盛、木の下に仲綱という焼き印を捺す日ごろ、清盛に恩義を感じていた頼政が、なぜ謀反を起こしたのか。『平家物語』は、頼政の嫡男仲綱の名馬 (木の下)...
View Article平家物語の群像 源頼政⑦わが身に代へて思ふ馬なれども
頼政、仲綱、次男兼綱らが三井寺 (園城寺) に集結宗盛は返歌もしないで、「みごとな馬だ。素晴らしい馬だが、仲綱があまりにも惜しんだのが憎い。仲綱と焼印せよ。」と命じ、馬に仲綱という焼印を押して厩 (うまや) に入れた。客が、「評判の名馬を拝見したい。」というと、宗盛は、「その仲綱めに鞍を置け、引き出せ、ひっぱたけ。」などという。 …… ……(原文) 伊豆守この由...
View Article平家物語の群像 源頼政⑧御馬一疋下し預り候はばや
(霞の上段)「競は居るか?」と尋ねる宗盛。 (霞の下段 左)宗盛の愛馬南鐐をだましとって三井寺 (園城寺) へ向う競。 (霞の下段 右)炎上する競の屋敷頼政の長年の郎等に、渡辺源三競滝口という者がいた。宮尾登美子の 『宮尾本 平家物語』...
View Article平家物語の群像 源頼政⑨昔は煖廷 今は平宗盛入道
渡辺綱:渡辺党の祖 (頼光四天王の筆頭) 『本朝武者鏡』 歌川国芳画六波羅 (ろくはら:平家の拠点) では、競 (きそお) の屋敷が炎に包まれているというので大騒ぎになった。宗盛が、「競はいるか。競はいるか」と呼ばわると、「おりません。」という返事。「しまった!!...
View Article平家物語の群像 源頼政⑩山門は心変はりしつ南都は
六波羅・法住寺殿概念図三井寺 (園城寺) では、法螺貝 (ほらがい) を吹いて大衆 (だいしゅ:天台宗で無役の修行僧)...
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