源頼政 菊池容斎画
○人知れぬ 大内山の 山守は 木隠れてのみ 月を見るかな
目立たない大内山 (大内裏) の番人は、 (地下人なので) 木に隠れるようにしてしか月 (天皇や公卿) を見ることができない
この歌によって正四位下を賜わり、清涼殿への昇殿が許された。
当時の源氏一門としては珍しくすぐれた歌人であった頼政は、藤原俊成や俊恵、殷富門院大輔など、多くの著名な歌人と交流があった。
作品は、『詞花集』 以下の勅撰和歌集に計59首も入っており、家集に 『源三位頼政集』 がある。
頼政は正四位下にはなったが、従三位からが公卿であり、正四位下とは格段の差がある。
70歳を超えた頼政は、一門の栄誉として従三位への昇進を強く望んでいた。
『平家物語』 によると、清盛は頼政の階位について完全に忘れており、そのため、頼政は長らく正四位下であった。
そのことを嘆いた頼政が、和歌を詠んだ。
○のぼるべき たよりない身は 木の下で しいを拾って 世を渡る
昇進のツテもコネもない私は、椎 (四位) のままで一生を終わるんだろうなぁ
この和歌によって、清盛は頼政が正四位下のままであることに気づいて、治承2 (1178) 年、従三位に昇進させたという。
時に、頼政74歳。
翌、治承3 (1179) 年11月には出家して、家督を嫡男の仲綱に譲った。
ただ、この頼政の従三位昇進は相当破格の扱いと受け止められたようで、九条兼実が日記 『玉葉』 に、「第一之珍事也」と記している。
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武芸にも秀でていた頼政には、一代の功名とすることが多々あるが、特に、仁平の頃 (1151~1154) 、近衛院が天皇だった頃、夜毎に苦しんだことがあった。
有験の高僧、貴僧によって大法・秘法が修せられたが、効果がない。
「(原文) 御悩は丑の刻ばかりの事なるに東三条の森の方より黒雲一叢立ち来たつて御殿の上に覆へば必ず怯えさせ給ひけり」
「丑の刻 (午前2時) 頃に、東三条の森の方角から一叢の黒雲が湧き上がり、御殿の上を覆うと、必ず怯えられた」
公卿らが、評議した。
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平家物語の群像 源頼政③のぼるべき たよりない身は
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