以仁王 (高倉宮) は23日の明け方、三井寺を出て、奈良へ落ちて行った。
源頼政と渡辺党、三井寺の大衆ら1500人余が従った。
乗円坊の慶秀が鳩の杖にすがって以仁王の前に進み出ると、老いた目から涙をはらはらと流した。
「どこまでもお供させて頂きたいのですが、わたしはすでに齢80を超えました。もはや歩くことさえままなりません。弟子の俊秀をお連れ下さい」
以仁王はあわれに思って、「お前とは何のよしみもないのに、どうしてそこまで思ってくれるのか」と涙をあふれさせた。
以仁王は、寝不足のせいか三井寺から宇治までに6度も落馬。
平等院でしばらく休むことにした。
その頃、六波羅では、「以仁王が奈良へ逃げたぞ。追っかけて討ち取れ」と騒ぎになっていた。
大将軍は平知盛、平重衡、平忠度の3人。
28000騎あまりが木幡山 (こはたやま) を越えて宇治橋まで押し寄せ、敵は平等院にいると見て、3度ときの声をあげた。
以仁王方も、鬨の声をあげて応じる。
平家方の先陣が、「敵は、橋板をはがしているぞ。むやみに進むな」とどなった。
だが、後陣にはその声が聞こえず、血気にはやる者らが、われ先にと進むうちに200騎余りが川に落ちた。
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宇治川をはさんで両陣が対峙し、矢合わせが始まった。
以仁王方の大矢の俊長、五智院の但馬、渡辺省 (はぶく)・授 (さずく)、続源太 (つづくのげんた)らが射る矢は、楯で防ぐことができず、鎧も貫く。
頼政は、今日を最後と思い定めたか、絹織物の直垂の一種「長絹」に、藍革に白く葉のような模様を染め出した革で縅 (おど) した鎧を身に付け、甲はかぶらなかった。
仲綱は、赤地の錦の直垂に、黒糸縅の鎧姿。弓を強く引くためか、やはり甲をかぶらなかった。