大納言典侍は、重衡一行のあとを追いかけようとしたが、出来ようはずもなく、うつ伏して泣きに泣いた。
その振り絞るように泣き叫ぶ声がいつまでも耳に届いて、重衡は馬を早めることができない。
「中々なりける見参かなと今は悔しうぞ思はれける」
やはり会うべきではなかったと、今となっては後悔もした。
殺されるために出かける夫と、ひとり残されて泣きじゃくる妻。
これ以上の、残酷な別れはあるまい。
翌日、重衡は念仏を唱えながら木津川の川べりで斬首され、首は般若寺の大鳥居の前に釘付けにされた。
大納言典侍は、人をやって首のない夫の亡骸を日野へ持ち帰らせた。
「昨日まではさしもゆゆしうおはせしかどもかやうに暑き比なればいつしかあらぬ様に成り給ひぬ」
昨日まではあれほど立派な男ぶりだった夫の身体が、暑い時期でもあり、早くも腐りかけている。
深窓育ちの大納言典侍が、首のないしかも腐乱の始まりかけている夫の屍体といかに向き合い、どのように洗浄し、処理していったのか。
想像するだに、胸が痛くなる。
夫の屍体を身ぎれいにすると、日野の法界寺で心を尽くして供養した。
数日後、重衡に西方浄土への道を説いた法然の弟子で、東大寺の大仏再建に力を尽くした俊乗房重源の計らいで、重衡の首が戻ってきた。
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重衡の首と胴体を火葬にして、骨を高野山へ送り、墓を日野に築いた。
「北の方やがて様を変へ濃墨染に窶れ果ててかの後世菩提を弔ひ給ふぞ哀れなる」
大納言典侍はすぐに出家して濃墨染の衣に身を包むが、すっかりやつれ果て、重衡の菩提を弔ったのが哀れである。
その後、義理の妹で安徳天皇の生母建礼門院徳子に仕え、洛北大原の寂光院で夫の菩提を弔いながら余生を過ごす。
なお、後白河法皇が大原に彼女たちを訪ねたという有名なエピソード【大原行幸】は、名場面ではあるが、『平家物語』の創作という説が有力である。