奈良坂から望む東大寺大仏殿
重衡は、『平家物語』では「牡丹の花」に喩えられ、『平家公達草紙』には、「かたちもいとなまめかしく、清らなりけり」(容貌がとても若々しく、気品があって美しかった)とある。
平家公達の中でも維盛(光源氏の再来)とともに美男子の代表格である重衡の女性関係は、やはり華やかだ。
恋愛模様はさておき、性格はどうだったのだろうか。
『建礼門院右京大夫集』(建礼門院右京大夫①愛する者の死 参照)によると、面白い話をして女房たちを笑わせたり、表情たっぷりに怖い話を披露して震え上がらせたり、とにかく場の雰囲気を盛り上げるのが得意な快活な好青年である。
しかも気が利いて、サービス精神が旺盛。
好感度が非常に高かったのではないだろうか。
『平家公達草紙』には、盗賊の真似をする有名なエピソードが記されている。
ある夜、高倉天皇が、「暇だなぁ、なにか面白いことないか」というので、重衡と藤原隆房(重衡の妹婿)が覆面をして女房たちの部屋にはいり、着物を1枚はぎとって戻ってきた。
「女房たち、とっても怖がってましたよ」と報告すると、高倉は、「おやおや、かわいそうなこと」と大笑いしたという。
仏敵・重衡は、かなりのいたずら好きだったようだ。
以上の逸話から察する人物像はまさに、愛される貴公子。
…… ……
○帽子甲に五枚甲の緒を締め茅の葉の如くに反つたる白柄の大長刀黒漆の大太刀左右の手に持つままに同宿十余人前後に立て手掻門より打つて出でたり。これぞ暫く支へたる。多くの官兵馬の脚薙がれて討たれにけり。
帽子兜に5枚兜の緒を締め、茅の葉のように反った白柄の大長刀や黒漆の大太刀を両手に持ち、同じ僧坊の10余人を前後に控えさせ、碾磑門から突撃した。永覚がしばらく防いでいた。多くの平家勢が馬の脚を薙がれて討たれた。
○されども官軍は大勢にて入れ替へ入れ替へ攻めければ永覚が防ぐ所の同宿皆討たれにけり。永覚一人猛けれども後ろ顕になりしかば南を指してぞ落ち行きける。
しかし平家軍は入れ替わり立ち替わり攻めてくるので、永覚と共に防いでいた同じ僧坊の者らは皆討たれてしまった。永覚は一人奮闘していたが、後ろには誰もいなくなってしまったので、南の方へ落ち延びた。
○夜軍になつて大将軍頭中将重衡般若寺の門の前にうち立つて暗さは暗し火を出だせと宣へば播磨国の住人福井庄下司次郎太夫友方といふ者楯を破り松明にして在家に火をぞ懸けたりける。
夜戦になって、重衡は般若寺の門の前に立ち、真っ暗だ火をつけろと指図すると、播磨国の友方という者が、盾を割って松明にし、民家に火をかけた。
…… 原文に忠実な訳ではありません ……
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