渡辺綱:渡辺党の祖 (頼光四天王の筆頭) 『本朝武者鏡』 歌川国芳画
六波羅 (ろくはら:平家の拠点) では、競 (きそお) の屋敷が炎に包まれているというので大騒ぎになった。
宗盛が、「競はいるか。競はいるか」と呼ばわると、「おりません。」という返事。
「しまった!! 競に謀られた。ただちに追撃せよ」
だが、競は勇猛で、矢継ぎ早の名手でもあったので、「競は、矢を24筋差している。24人は討たれるぞ。」と怖れて、だれも追撃しようとはしなかった。
その頃、三井寺 (園城寺) では、渡辺党の面々が集まって、競のうわさをしていた。
「何としてでも、競を連れてくるべきだった。六波羅で、どんなひどい目に遭っていることやら。」と口々にいっている。
競をよく知る頼政は、「競は、むざむざ捕えられたりはしない。心配するな。わしに忠義の者だ。必ずやってくる」
いい終わらないうちに、競が顔を見せた。
「仲綱殿の 『木の下 (このした) 』 の代わりに、六波羅の 『煖廷 (なんりょう 南鐐) 』 を奪って参りました」
そして、仲綱に煖廷を進呈した。
仲綱は大いによろこんで、すぐに煖廷の尻尾とたてがみの毛を切り、焼印を押して、六波羅へ送り返した。
(原文) 夜半ばかりに門の内へ追ひ入れたりければ厩に入りて馬共と食ひ合ひければ、その時舎人驚き合ひ、煖廷が参つて候ふと申す。
(現代語訳) 夜更けに煖廷を門内へ追い込んで厩 (うまや) に入れると、他の馬たちと喧嘩を始めたので、舎人 (とねり) たちが驚いて、「煖廷が戻って参りました。」と申し上げる。
宗盛が走り出て見ると、煖廷に、「昔は煖廷、今は平宗盛入道。」という焼き印が押してある。
「憎ったらしい奴だ、競め。斬り捨てるべきだった。油断して謀られた。今度、三井寺へ攻め込む者どもは、何が何でも競を生け捕りにせよ。のこぎりで首を斬り落としてやる」
地団駄を踏んで悔しがったが、煖廷の尾やたてがみの毛も生えてこず、焼印が消えることもなかった。
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平家物語の群像 源頼政⑨昔は煖廷 今は平宗盛入道
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