平家物語の群像 義経③復讐の鬼
鞍馬寺仁王門遮那王が16歳のころ、正門坊と名乗る僧が現れ、遮那王が平清盛に敗れた源氏の棟梁・義朝の子であることや、異母兄の頼朝が伊豆の国に流されていることなどを語った。平時忠が、「平氏にあらずんば人にあらず」...
View Article平家物語の群像 義経④奥州平泉へ
鎮守府将軍 藤原秀衡遮那王は、自分の素性を教えてくれた正門坊に、「都の様子を時々知らせて欲しい」と頼んで、金売り吉次の一行に紛れて京を離れた。奥州の白河の関までは、平家の目を警戒しながらの北上である。藤原秀衡に会う前にぜひ元服を済ませておきたいと思っていた遮那王は、近江国蒲生郡の「鏡の宿」で、自分の手で元服の儀を執り行った。そして、烏帽子親 (えぼしおや:元服儀式の際に加冠を行う者)...
View Article平家物語の群像 義経⑦黄瀬川の対面
黄瀬川の対面 安田靫彦 クリックして拡大して下さい治承4年(1180)10月20日、頼朝は平維盛の大軍を「富士川の戦い」で潰走させて鎌倉に戻る途中、黄瀬川(静岡清水町)で陣を張っていた。 維盛④富士川の戦い...
View Article平家物語の群像 義経⑨公家日記デビュー
木曽義仲騎馬像 富山県小矢部市埴生頼朝と義経が、黄瀬川の陣で涙の対面をして鎌倉に引き上げたころより少し前、信濃で挙兵した木曽義仲は、平家の軍勢を蹴散らしながら北陸道を突き進んで上洛した。 維盛⑩倶利伽羅峠の戦い平家一門を、都から追い落とす。義仲が入京した寿永2年(1183)7月は、一昨年(養和元年)の凶作で多くの餓死者が出ていた。 義仲④比叡山そして入京...
View Article平家物語の群像 義経⑱義経と非戦闘員
堂島川に架かる渡辺橋元暦2(1185)年2月16日、義経は、平家一門の拠点・屋島を攻めるため、摂津(大阪府)の渡辺(大阪市の渡辺橋あたり)に兵船を揃えた。しかし、纜(ともづな)を解いていると急に激しい風が吹き荒れ兵船が破損したので、出港をとりやめる。その夜、義経が郎党に尋ねた、「われらは船いくさには、慣れていない。どうしたものか」すると、軍目付(いくさめつけ)...
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