鶴岡八幡宮 神奈川県鎌倉市
『義経記』は、頼朝と義経のおよそ20年ぶりの再会の様子を、「共に涙にむせび給ふ。互に心のゆく程泣きて……」と記している。
ふたりは懐旧の涙に暮れつつ、力を合わせて平家を倒し源氏を再興することを誓いあった。
兄弟らしい情愛が通い合ったのは、もしかしたらこの時が初めてであり、また最後だったのかも知れない。
冷徹な政治家である頼朝にとっては、「組織論」が「兄弟愛」に優先する。
翌・養和元年(1181)7月20日、「大工の馬事件」という、兄弟の間に公の場で亀裂が入った出来事が起こった。
鶴岡八幡宮若宮の棟上式において、頼朝は、大工への褒美として与える馬の引き役を義経に命じた。
義経は、断った。
馬は2人1組で引くものだが、その場にいた顔ぶれで、自分と身分のつり合う者がいないと思ったからである。
義経にはまだ、「頼朝の実弟である自分は、御家人たちとは身分が違う」という意識があった。
しかし、頼朝は激怒して義経を叱責する。
「畠山重忠や佐貫広綱がいるではないか。卑しい役目だと思って断るか」
義経は震え上がって、御家人とともに馬を引いた。
頼朝は、「弟だからといって、義経を特別扱いはしない。御家人と同列だ」ということを居並ぶ面々に知らしめたのだ。
いわば、「義経、御家人」宣言である。
同年、平清盛が熱病で死去した。享年64。
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