源義経 本人に1番似てる?
秀衡(ひでひら)にはもちろん、義経が一刻も早く頼朝のもとに駆けつけたい気持ちは痛いほど分かる。
だが、「平家の勢力はまだ盤石。今、鎌倉へ参陣するのは時期尚早だ。もう少し、様子を見てからの方がよい」と待ったをかけたのだった。
秀衡も義経も中央の情報はしっかりと収集しているようだから、当ブログでも、
頼朝挙兵までの経緯をざっと振り返っておきたい。
保元・平治の乱の最終勝利者になった平清盛は、朝廷で独裁権力をふるい、平家一門で高位高官をほとんど独占した。
清盛①保元・平治の乱
当然、朝廷内外において平家への反感が広がる。
最初の平家打倒の動きは、治承元(1177)年6月の「鹿ヶ谷の陰謀」となって表面化する。
鹿ヶ谷の陰謀①伏線
後白河法皇も絡んだ陰謀だったが、多田行綱の密告によってあっという間に一網打尽にされた。
それから治承4(1180)年4月、以仁王(もちひとおう)が大寺社や各地の源氏などに平家討伐の令旨を送った。
源頼政⑪以仁王と橋合戦
以仁王は源頼政とともに簡単に平家によって討伐されるが、「令旨」が意外に効力を発揮。
反平家の動きが、各地に燎原之火のように広がってゆく。
頼朝は、この「以仁王の令旨」を名分として、打倒平家の旗揚げをしたのである。
景時②石橋山の戦い
その頼朝挙兵の報が平泉に届いたとき、義経は気が逸ったが、秀衡は時期尚早と判断した。
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平家物語の群像 義経⑤頼朝の旗揚げまで
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