治承4年(1180)10月20日、頼朝は平維盛の大軍を「富士川の戦い」で潰走させて鎌倉に戻る途中、黄瀬川(静岡清水町)で陣を張っていた。
維盛④富士川の戦い
そこへ、義経一行が、平泉から夜を日に継いで馬を飛ばして駆けつけて来た。
そして、「齢20余、色白く、せい小さき男の、面魂(つらだましい)、眼差しすぎて(眼光鋭く)見えけるに、郎党20余騎を相具して」やってきた男(義経)が、
居合わせた御家人たちに頼朝への取次を頼んだ。
「鎌倉殿にお目にかかりたい」
居合わせた御家人とは、頼朝が石橋山で挙兵したときから従っている、土肥実平と土屋宗遠そして三浦義実の3人である。
彼らは、「之を怪しみて執啓(しっけい:取次)する能はずして、剋(とき)を移す」
義経を怪しい人物と思って、取次かずに放っておいた。
義経は当然のことながら、「自分は、頼朝の弟の義経という者である」と名乗ったはず。
つまり、頼朝の最古参の御家人たちさえ、頼朝に義経という弟がいることをを知らなかったわけだ。
双方で押問答しているうちに、頼朝の耳に入った。
頼朝は実平を呼んで、怪しい男の年恰好や、どこから来たのかなどを尋ねる。
「陸奥の九郎であろう。わたしの末弟だ。連れて参れ」
およそ20年ぶりの再会、さすがに懐かしい。
頼朝は、2歳のときに別れた弟がたくましく成長していることに驚き、懐かしさで胸が一杯になった。
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