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頼朝と義経が、黄瀬川の陣で涙の対面をして鎌倉に引き上げたころより少し前、信濃で挙兵した木曽義仲は、平家の軍勢を蹴散らしながら北陸道を突き進んで上洛した。
維盛⑩倶利伽羅峠の戦い
平家一門を、都から追い落とす。
義仲が入京した寿永2年(1183)7月は、一昨年(養和元年)の凶作で多くの餓死者が出ていた。
義仲④比叡山そして入京
そこへ6万もの木曾勢が駐留したから、食料不足がいっそう深刻になる。
兵たちが食料などを求めて、乱暴狼藉を働いた。
当初、都の人々は義仲の上洛を喜んで「旭将軍」と称えたが、「これでは平家の方がまだましだった」と失望する。
寿永2年(1183)11月、義経が鎌倉に来て4年目の冬。
九条兼実の日記『玉葉』によると、義経は関八州の皇室御領の租税を納めるために、中原親能(ちかよし)とともに、頼朝の代官として京へ向かう。
ところが、義仲は二人の目的が本当に納税のためだけなのかを疑って、入京を拒んだ。
後白河法皇も、義経たちの任務を義仲に説明したが、義仲は聞き入れなかった。
ちなみに、義経が客観性の高い「公家日記」に登場するのは、これが最初である。
よって、史実にきわめて近い。
義経たちは近江(滋賀県)までやって来たが、結局、入京できずに伊勢まで引き返した。
伊勢(三重県)で、どうやら都の情勢を探っていたようだ。
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