
遮那王は、自分の素性を教えてくれた正門坊に、「都の様子を時々知らせて欲しい」と頼んで、金売り吉次の一行に紛れて京を離れた。
奥州の白河の関までは、平家の目を警戒しながらの北上である。
藤原秀衡に会う前にぜひ元服を済ませておきたいと思っていた遮那王は、近江国蒲生郡の「鏡の宿」で、自分の手で元服の儀を執り行った。
そして、烏帽子親 (えぼしおや:元服儀式の際に加冠を行う者) がいないので、自ら源九郎義経と改名する。
熱田神宮に立ち寄った。
熱田神宮の前の大宮司は、父義朝の正室由良御前の父であり、由良御前は頼朝の生母である。
本拠地の関東と京をたえず往復していた義朝には、長男の義平をはじめ宿場宿場の遊女に産ませた子供が多く、頼朝の母親が飛びぬけて出自が高い。
このことが、頼朝が三男でありながら、子供のころから後継者扱いされていた所以である。
義経一行が長旅の末に平泉に着くと、秀衡は、
「数日前、館に黄金の鳩が舞い込む夢を見たが、あれは吉兆だったのだ」と大いに歓迎してくれた。
こうして、義経は16~23歳というもっとも多感な6年間を平泉で過ごすことになる。
もっとも、平泉での生活ぶりは何ひとつ分かっていない。
治承4(1180)年8月17日、頼朝が伊豆で挙兵すると、義経は一も二もなく馳せ参じようとしたが、秀衡がとめた。
源九郎義経〈上〉 (人物文庫)/学陽書房

¥1,008
Amazon.co.jp
奥州藤原氏―平泉の栄華百年 (中公新書)/中央公論新社

¥840
Amazon.co.jp
義経伝説紀行 Vol,1~5 牛若から義経へ 鞍馬山・清水寺・比叡山・宮島/音戸・熱田神宮/日経BP社

¥2,588
Amazon.co.jp