勢いになびくは人の常。
信濃で挙兵した義仲が平家の大軍を蹴散らしながら破竹の勢いで上洛する際は、道すがらの豪族たちがわれ先に木曾軍の旗下に集まった。
だが、寄せ集めの軍はもろい。
いったん形勢が不利になると、烏合の衆は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
6万騎で入京した木曾軍は、鎌倉軍を迎え撃つころには脱落者が続出して千騎あまりに激減している。
義仲⑥混成部隊の限界
義仲は義仲四天王の今井兼平に500余騎を与えて瀬田を、根井行親(ねのい ゆきちか)と楯親忠(たて ちかただ)には300余騎で宇治を守らせ、
義仲自身は100余騎で院御所を守護した。
寿永3年(1184)正月20日、範頼は3万5千騎で瀬田を守る今井兼平勢と対峙する。
義経は2万5千騎で、宇治川をはさんで根井行親勢と向き合った。
敵は橋板を外し、対岸には楯を並べている。
川には、何本も杭を打っている。
義経は川岸近くの住人たちを立ち退かせ、民家に火をかけて焼き払い全軍を布陣させた。
そして、川べりに造らせた高い櫓に上って全軍に告げた。
「私はここで、そなたたちの戦いぶりを見ている。そして、逐一書き留めて鎌倉殿に報告する」
それを聞くと、東国武士たちはわれこそ第一の手柄を立てようと色めき立った。
「泳ぎの得意な者は浅瀬をさぐれ。身分の低い者は出世のチャンスだ。弓の得意な者は、橋桁を渡って敵を射よ。泳いで渡る者らを守れ」
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