平家物語の群像 弁慶⑩弁慶の立往生
弁慶の立往生 中村吉右衛門京の五条大橋での義経との大立ち回り、加賀の安宅の関における涙の主君殴打、そして衣川の弁慶の立往生 (立ったまま息絶える)。これらが、武蔵坊弁慶渾身の見せ場である。藤原秀衡(ひでひら) が死ぬと、後継の泰衡(やすひら) は頼朝の武力を恐れ、父の遺言をないがしろにして、五百騎の軍勢で高舘(たかだて) の義経主従に討っ手を差し向けた。義経の手勢は十騎ほどだ。弁慶は黒皮縅...
View Article「平清盛―平家物語絵巻の世界」 展 林原美術館
暑中お見舞い申し上げます ◇岡山で 「平清盛展」 開幕 絵巻や屏風など40点 源平の争乱を軸に壮大な歴史ロマンを照らし出す 「平清盛―平家物語絵巻の世界」 展 (林原美術館7 件、山陽新聞社主催)...
View Article平家物語の群像 維盛①美貌の貴公子
平維盛 平家物語絵巻から久々に平家の公達 (きんだち) に戻ってきた。それも公達のなかの公達。平家一門嫡流の美貌の貴公子、維盛 (これもり) だ。『建礼門院右京大夫集』 の作者は、維盛の輝くような美しさを、「光源氏の再来」 と書いた。ちなみに、右京大夫は、維盛の異母弟・資盛 (すけもり) と恋仲である。...
View Article平家物語の群像 維盛②鹿ケ谷の陰謀の衝撃
平重盛 菊池容斎画 『前賢故実』 江戸時代言うまでもなく、鹿ケ谷の陰謀は、清盛政権下で初めて発覚した反平家の動きである。藤原成親 (なりちか) が、人事への不満から西光法師や俊寛僧都、多田行綱らを語らって、高位高官をほぼ独占している平家を打倒しようとした事件だ。清盛と対立を深めつつあった後白河院も、加わっている。 鹿ヶ谷の陰謀②主なメンバー...
View Article平家物語の群像 維盛③頼朝追討軍の総大将に
小松内大臣平重盛公墳墓その頃、中宮・徳子が懐妊したため、腹違いとはいえ兄である重盛の内大臣辞任は認められず、左大将のみ辞任した。一方、成親がその武力を頼りにしていた多田行綱の密告によって鹿ケ谷の陰謀を知った清盛は激怒。謀議に参加した面々を一網打尽にした。...
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View Article平家物語の群像 維盛④富士川の戦い
治承・寿永の乱 (源平合戦) ……↑ クリックして拡大して下さい。治承4(1180)年9月18日、維盛を総大将、大叔父の薩摩守忠度 (ただのり)...
View Article平家物語の群像 維盛⑤斎藤別当実盛
斎藤別当実盛維盛は、坂東の情勢に通じている斎藤実盛 (さねもり) を呼んで尋ねた。「実盛よ、そなたほどの弓の使い手は、関八州にはどれ位いるものか」実盛は大笑いした。「殿は、実盛を弓の名人とお思いですか。私ていどの弓使いは関東八か国には幾らでもおります。精兵は鎧の2、3両はやすやすと射抜きます。合戦となれば、親や子が討たれても、死屍累々 (ししるいるい)...
View Article平家物語の群像 維盛⑧右近衛中将に昇進
福原京推定地 祇園遺跡 神戸市兵庫区下祇園町東海道の宿々の遊女たちは、平家の不様を笑いあった。「平家のお侍たちは、なんと情けないこと。敵の軍勢に怯えて逃げることさえみっともないのに、水鳥の羽音に腰を抜かして、一目散に落ちていったよ」彼女らの物笑いの種になっただけではない。道々に、維盛と忠清をからかった落書きがたくさん残された。○ 富士川の 瀬々の岩こす 水よりも...
View Article平家物語の群像 維盛⑨小松家の悲哀
平維盛が本陣を置いた猿ヶ馬場 倶利伽羅峠古戦場「富士川の戦い」 という歴史用語には実体がない。維盛軍は東国勢と一戦も交えることなく、水鳥の羽音に驚いて逃げ帰ったからだ。維盛は、平家一門の中でますます身の置き所がなくなったのではないだろうか。自分の舅であり故・父重盛の義兄でもある藤原成親が、平家を滅ぼそうと画策した鹿ケ谷の陰謀の中心人物だったことは、一門における小松家...
View Article平家物語の群像 維盛⑩倶利伽羅峠の戦い
火牛の計 『源平盛衰記』治承4年(1180)、木曽義仲は以仁王の平家追討の令旨に応じて信濃 (長野県) で挙兵。翌年、平家方の越後守・城長茂 (じょう ながもち)の1万の軍勢を横田河原の戦いで破り、北陸道方面に勢力を広げた。 義仲③上洛途上 寿永2年(1183)4月、平家は維盛を総大将とする10万騎の大軍を北陸道へ派遣。越前 (福井県) の火打城の戦いで勝利し、義仲軍は越中...
View Article平家物語の群像 維盛⑬六代をよろしく頼む
大鎧 おおよろい クリックして拡大して下さい維盛が鎧をきて馬に乗ろうとすると、10歳になる六代と8歳の夜叉御前が走ってきて、維盛の鎧の袖や草摺 (くさずり) にしがみついて泣きじゃくった。「父上、どこへ行かれるのですか。私たちも参ります」そこへ資盛 (すけもり:建礼門院右京大夫と恋仲) と清経 (きよつね)、有盛 (ありもり)、忠房 (ただふさ)、師盛 (もろもり)...
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