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平家物語の群像 維盛⑤斎藤別当実盛

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$吉備路残照△古代ロマン-斉藤実盛  斎藤別当実盛


維盛は、坂東の情勢に通じている斎藤実盛 (さねもり) を呼んで尋ねた。

「実盛よ、そなたほどの弓の使い手は、関八州にはどれ位いるものか」

実盛は大笑いした。

「殿は、実盛を弓の名人とお思いですか。私ていどの弓使いは関東八か国には幾らでもおります。精兵は鎧の2、3両はやすやすと射抜きます。合戦となれば、親や子が討たれても、死屍累々 (ししるいるい) の山を乗り越えて戦います。

西国の合戦は違います。親や子が討たれると悲嘆のあまり退却します。兵糧米が尽きると、さっさと戦いを止めます。


さて、甲斐や信濃の源氏は地勢に詳しい。富士の裾野から背後へ回り、攻め込んでくるでしょう。大将軍を怖じ気づかせようと言っているのではありません。
しかし私は、再び都へ上れるとは思っておりません。

ただ、合戦の勝敗は兵の多少ではなく、謀略で決まります」

実盛の話を聞いていた兵たちは、みな震えあがった。

斎藤実盛 越前国 (福井県) 生れ

武蔵国幡羅郡長井庄 (埼玉県熊谷市) を本拠地とした




久寿2(1155)年、源義平が叔父源義賢 (よしかた) を討った大蔵館の戦いでは、義賢の子で2歳の駒王 (のちの木曽義仲) を保護して、木曽に送り届けたともいわれる。

      木曽義仲①頼朝・義経は父の仇

保元の乱、平治の乱では源義朝についたが、乱後は平家との結びつきを強め平家領の長井荘の荘官となった。

治承・寿永の乱では一貫して平家方についた。

治承4(1180)年の富士川の戦いでは、東国の案内者として、東国武士について進言。
寿永2(1183)年、篠原の戦いで、味方が落ちていく中ただ一騎踏みとどまり、幼い頃助けた木曽の軍に討たれる。

黒髪に染めた老齢の実盛を見たとき、義仲は泣いた。


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