維盛は、坂東の情勢に通じている斎藤実盛 (さねもり) を呼んで尋ねた。
「実盛よ、そなたほどの弓の使い手は、関八州にはどれ位いるものか」
実盛は大笑いした。
「殿は、実盛を弓の名人とお思いですか。私ていどの弓使いは関東八か国には幾らでもおります。精兵は鎧の2、3両はやすやすと射抜きます。合戦となれば、親や子が討たれても、死屍累々 (ししるいるい) の山を乗り越えて戦います。
西国の合戦は違います。親や子が討たれると悲嘆のあまり退却します。兵糧米が尽きると、さっさと戦いを止めます。
さて、甲斐や信濃の源氏は地勢に詳しい。富士の裾野から背後へ回り、攻め込んでくるでしょう。大将軍を怖じ気づかせようと言っているのではありません。
しかし私は、再び都へ上れるとは思っておりません。
ただ、合戦の勝敗は兵の多少ではなく、謀略で決まります」
実盛の話を聞いていた兵たちは、みな震えあがった。
斎藤実盛 越前国 (福井県) 生れ
武蔵国幡羅郡長井庄 (埼玉県熊谷市) を本拠地とした
久寿2(1155)年、源義平が叔父源義賢 (よしかた) を討った大蔵館の戦いでは、義賢の子で2歳の駒王 (のちの木曽義仲) を保護して、木曽に送り届けたともいわれる。
木曽義仲①頼朝・義経は父の仇
保元の乱、平治の乱では源義朝についたが、乱後は平家との結びつきを強め平家領の長井荘の荘官となった。
治承・寿永の乱では一貫して平家方についた。
治承4(1180)年の富士川の戦いでは、東国の案内者として、東国武士について進言。
寿永2(1183)年、篠原の戦いで、味方が落ちていく中ただ一騎踏みとどまり、幼い頃助けた木曽の軍に討たれる。
黒髪に染めた老齢の実盛を見たとき、義仲は泣いた。
斎藤別当実盛伝―源平の相剋に生きた悲運の武者 (1982年)/さきたま出版会
¥1,575
Amazon.co.jp
原典 平家物語 45 実盛 (さねもり) (DVD)/株式会社ハゴロモ
¥3,500
Amazon.co.jp
木曽義仲―「朝日将軍」と称えられた源氏の豪将 (PHP文庫)/PHP研究所
¥700
Amazon.co.jp