「富士川の戦い」 という歴史用語には実体がない。
維盛軍は東国勢と一戦も交えることなく、水鳥の羽音に驚いて逃げ帰ったからだ。
維盛は、平家一門の中でますます身の置き所がなくなったのではないだろうか。
自分の舅であり故・父重盛の義兄でもある藤原成親が、平家を滅ぼそうと画策した鹿ケ谷の陰謀の中心人物だったことは、一門における小松家 (重盛とその子供たちの家) の立場を、ひどく悪くさせただろうことは想像に難くない。
維盛②鹿ケ谷の陰謀の衝撃
重盛は、この事件に心を痛め身体をこわして42歳という若さで世を去った。
維盛が 「富士川の戦い」 の総大将に任命されたことは、考えようによっては、「鹿ケ谷の陰謀」 の負い目を克服するチャンスであった。
関東勢を撃破して頼朝を生け捕りにでもすれば、一気に求心力が高まったに違いない。
でも、えてして現実は願望と逆方向に動く。維盛の、総大将としての力量を問われかねない無残な結果に終わった。
また小松家は、維盛を筆頭に全員が20歳前後の若者だ。
裏も表もそのまた裏もある、権謀術数渦巻く朝廷政治に身を置くには若すぎる。
他方、清盛の正室・時子を母とする宗盛の兄弟は、維盛からすればみんな叔父。年齢的にも、働き盛りだ。
しかも、叔母の徳子は、高倉天皇の中宮におさまっている。
どうみても、こちらの方が羽振りがいい。
そこへ持ってきて、「鹿ケ谷」 と 「富士川」 である。
重盛亡きあと、平家一門の棟梁の座は嫡孫の維盛ではなく、清盛三男の宗盛に移った。
寿永2(1183)年4月、再び維盛を総大将として総勢10万 (平家物語による) の大軍団が編成された。
木曾義仲追討軍である。
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