馬上の源頼朝
人数を出して平家方の様子を偵察させたところ、「もぬけの殻です」という。
敵が忘れていった鎧 (よろい) を取ってきた者もいれば、置いていった大幕を持ってきた者もいる。
「平家の陣には、ハエ一匹飛んでおりません」
維盛には退却するつもりはなかったが、侍大将の伊藤忠清は撤退を主張した。とうに戦意を喪失している
兵たちも、忠清に同調しており撤退を余儀なくされた。
疑問が残る。
なぜ、実盛は決戦を前に、東国武士の猛々しい戦いぶりを力説して、味方に恐怖心を植え付けたのか。
西国武士は軟弱で、親や子が討たれたり兵糧が尽きたりしたらすぐに退却してしまうという認識であれば、
なおさら、開戦前夜には口にすべきではなかったであろう。
その程度の配慮のできない人物には思えないのだが。
もしや敵勢が勇猛果敢であることを強調して、平家勢を発奮させようとしたのか……。
もしそうであれば、結果的に見込み違いだった。
実盛から東国武士の苛烈な戦いぶりを聞いておびえていた平家の武士たちは、富士川の川べりから羽ばたいた数万羽の水鳥の暴風のような羽音を、東国勢の夜襲と勘違いして、戦わずしてわれ先に敗走したのだ。
頼朝は急いで馬から下りて兜を脱ぎ、手を洗いうがいをした。
御巣鷹山日航機墜落事故(1985年8月12日18時56分)で亡くなった坂本九さんの曲です。さっきラジオから流れていました。
都のほうへ向かって、「これは私の功績ではありません。ひとえに八幡大菩薩の御計らいです」
頼朝は平家を追撃することはせず、地盤固めのため鎌倉に戻った。
治承4(1180)年11月8日、維盛はわずか10騎ほどの兵とともに命からがら福原へ逃げ帰った。
清盛は激怒し、維盛が福原に入ることを禁じる。
「維盛をば鬼界島へ流すべし。忠清をば死罪に行へ」
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平家物語の群像 維盛⑦平家陣はもぬけの殻
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