平家物語の群像 文覚⑱黒衣の僧が、月毛の馬に乗って
千本松原 沼津市の狩野川河口~富士市の田子の浦 静岡県六代は、まだまだ甘えていたい母や乳母と別れ、住み慣れた都からはるかに遠い鎌倉へ下って行く。さながら、死への行進といえなくもない。恐怖心に押しつぶされやしないか。12歳の胸のうち、察するに余りある。何ひとつ悪いことをしていないのに、である。武士がたまたま自分の方へ馬を急がせてくると、「首を斬りにきたのか」...
View Article平家物語の群像 文覚⑲尽きせぬものはただ涙なり
六代御前最後之故址の碑 逗子市田越近くに住む者たちが、ぞろぞろ集まってきて、「なんとかわいそうな。松原の中で世にも美しい平家の若君を、時政殿が斬ろうとしている」などと囁きあっている。黒衣の僧が駆けつけて、馬から飛び下りた。「若君を預かりに参りました。源頼朝殿の御命令書がここにあります」...
View Article平家物語の群像 文覚⑳さる人の子なり、さる者の弟子なり
六代御前 (平高清:平家一門最後の嫡流 正盛から六代目) の墓 神奈川県逗子市桜山 平家終焉の地が、源氏の本拠地であるのは歴史の皮肉か六代は14~5歳になると容姿にますます磨きがかかって、照り輝くばかりになった。さすがに、「光源氏の再来」...
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View Article平家物語の群像 葵女御②忍ぶれど 色に出でにけり
忍ぶれど 色に出でにけり「そこまで思いをかけておられるのなら、何の不都合がございましょう。葵を召されたらいかがですか。家柄を気になさる必要はありません。基房がさっそく養女にしましょう」「基房のいうことはもっともだ。退位してからなら、それもよい。しかし、在位中に、そのようなことをしたら、後代のそしりとなろう」基房は、仕方なく帰っていった。ある日、高倉は手元にあった紙に、古歌を書きつけた。○...
View Article平家物語の群像 小督⑥小督が奏でる曲は『想夫恋』
小督の局と弾正少弼源仲国 橋本(揚洲)周延峰の嵐か松風か、訪ねる小督の琴の音か。はっきりとは聴きとれないが、馬を速めて近づくと、片折戸の家の中から琴を弾く音が聞こえてくる。聴き覚えのある小督の爪音 (つまおと) だ。楽曲は、『想夫恋 (そうぶれん)』 「やはり、小督はやさしい。高倉天皇を思って、数多い楽曲の中から想夫恋を弾くとは」...
View Article平家物語の群像 小督⑧出家そして追放
小督局の塚 京都東山 清閑寺内親王の誕生を時の権力者に隠し通すことは不可能だろう。「小督が行方をくらませたというのは、偽りだったのか」憤激した清盛は、小督を捜しだすと、ただちに東山の清閑寺で尼にして、内裏から追放した。時に、小督23。出家はもとより望んでいたが、愛する者たちと生木を裂かれるように別れさせられるのは、やはり身に応える。『平家物語』...
View Article平家物語の群像 景時②石橋山の戦い
ししどの窟の源頼朝 前田青邨画実は、『平家物語』 には梶原景時に関する記述は、文覚上人同様きわめて少ない。よって、とくに前半は、『吾妻鏡』 と 『源平盛衰記』 に頼ることになる。 文覚①幼馴染みの袈裟と再会...
View Article平家物語の群像 景時③弁舌家で教養人
頼朝挙兵のルート治承4(1180)年8月29日、絶体絶命のピンチで、思いかけず景時に救われた頼朝は、夜の闇にまぎれて船で安房国 (千葉県南部) へ逃れた。安房で再び挙兵を呼びかけると、千葉常胤 (つねたね 桓武平氏の流れ) 、上総広常 (平広常 桓武平氏の流れ) ら地元の有力武士団が続々と馳せ参じて、頼朝軍は、わずかの間に数万の大軍に膨れ上がった。ここでお分かりのように、俗に 「源平合戦」...
View Article平家物語の群像 景時⑤梶原2度駆けの親心
土肥実平 (さねひら) と妻の像 JR湯河原駅前景時は、義仲を仕留めた場所やその時の戦いの様子、討ち果たした主な敵将と彼らの首をあげた者の名前などを、詳細にかつ分かりやすく記している。頼朝は、景時の的確な事務処理能力と、簡にして要をえた報告文に舌を巻いた。 同年2月7日、一ノ谷の戦いにおいて初めは土肥実平が範頼の侍大将...
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