六代御前最後之故址の碑 逗子市田越
近くに住む者たちが、ぞろぞろ集まってきて、「なんとかわいそうな。松原の中で世にも美しい平家の若君を、時政殿が斬ろうとしている」などと囁きあっている。
黒衣の僧が駆けつけて、馬から飛び下りた。「若君を預かりに参りました。源頼朝殿の御命令書がここにあります」
命令書
「小松三位中将維盛卿の子息六代御前尋ね出だされて候ふ。然るを高雄の聖文覚坊の暫し乞ひ受けんと候ふ。
疑ひをなさず預けらるべし。
北条四郎殿へ。 頼朝」 最期に判を押してある。
時政が、「承知致した」 というと、斎藤五宗貞と斎藤六宗光はいうに及ばず、北条の家の子郎等も喜んだ。そこに、文覚房が晴れがましい表情で現れ、時政に遅れた事情を話した。
「頼朝殿は初め、『若君の父、平維盛殿は富士川の合戦などの大将軍でいられた。いかに御房の頼みでも、助命は無理だ』 といわれる。『文覚の頼みを退けて、神仏のご加護がありますものやら』 など悪態をついても、『だめだ』 と言って、那須野に狩りに出て行きました。私も狩場に赴いて、何度も頼み込んで、ようやく若君の命を乞い受けました」
「御房が約束された20日間は過ぎました。頼朝殿の許しがなかったのだと思い、今、ここで過ちを犯すところでした」
文覚房と六代らは、尾張の熱田で年の暮れを迎え、翌1月5日夜に帰京した。大覚寺に入って門を叩いたが、誰もいないのか物音がしない。六代が飼っていた白い犬が、築地の崩れから走り出てきて、尾を振った。
「母上はどこにいらっしゃるのだ」 と聞くのがいじらしい。
翌朝、里人に尋ねると、「昨年の暮れ東大寺へ参って、正月からは長谷寺に籠もっていられます」 というので、斎藤五宗貞が長谷寺へ急行し、
建春門院新大納言に、六代が帰ってきたことを告げた。
母は、わが子をひしと抱きしめた。尽きせぬものはただ涙。「六代、これは夢か。すぐに出家なさい」
しかし、文覚は出家させず、高尾の神護寺に迎え入れた。
決定版 図説・源平合戦人物伝/学研パブリッシング
¥1,995
Amazon.co.jp
源頼朝(一) (吉川英治歴史時代文庫)/講談社
¥819
Amazon.co.jp
もういちど読む山川世界史/山川出版社
¥1,575
Amazon.co.jp
↧
平家物語の群像 文覚⑲尽きせぬものはただ涙なり
↧