前田青邨画
実は、『平家物語』 には梶原景時に関する記述は、文覚上人同様きわめて少ない。よって、とくに前半は、『吾妻鏡』 と 『源平盛衰記』 に頼ることになる。
文覚①幼馴染みの袈裟と再会 参照
梶原氏のような中小の豪族は、源・平という大族の勢力争いの動向によって、源氏に付いたり平氏に味方したりしている。
家族や一族郎等の生命や生活を守るためには、仕方がなかったのだろう。
きのう、「国民の生活が第一」 という、他人事ながら恥ずかしくなるような名称の新党が、
本音では、「自分たちが選挙で当選するのが第一」 と思っている、政治資金をめぐる刑事被告人によって立ちあがった。
人気取りのキャッチフレーズを臆面もなく並べているが、国民を愚弄していること甚だしい。国民は、見透かしている。
選挙後、49名のうち何%が国会に戻ってこられることやら。
それはさておき、梶原氏はもともとは平氏の流れだが、源義家が関東に勢力を張っていたころは源氏の家人になり、平治の乱で源義朝が敗死すると、平家に従った。
治承4(1180)年8月、源頼朝が、以仁王の令旨を奉じて挙兵。伊豆国目代の山木兼隆を襲撃して殺害する。
つづく石橋山の戦いでは、梶原景時は同族の大庭景親とともに、平家方として頼朝討伐に向かい、頼朝軍を破った。
山中に逃れた頼朝を追跡してきた景親が、「この臥木が怪しい」 というと、景時が洞窟の中に入っていった。
すると、頼朝がいるではないか。頼朝は、「今はこれまで」 と自害しようとしたが、景時が制した。
「お助けしましょう。戦いに勝たれたときは、忘れないで下さい」 といい残すと、洞窟を出て、「こうもりばかりで、誰もいない。向こうの山があやしい」 と叫んだ。
景親か怪しんで洞窟に入ろうとすると、景時が立ちふさがって、「わたしを疑うか。男の意地が立たぬ。入ればただではおかぬ」
大庭景親は諦めて立ち去り、頼朝は九死に一生を得た。
この時のことを恩義に感じて、のちに頼朝が景時を重用したともいわれている。
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