上総広常 (かずさ ひろつね) 平広常 歌川芳虎画
広常に謀反の企てがあるとの噂が広がり、頼朝が景時に命じて殺させたものだ。
のちに謀反の疑いは晴れるが、広常は御家人の中で突出した大軍勢を擁しており、
そのため何かと頼朝を軽んじる言動が目だっていた。
安房での再挙兵以来、頼朝軍が勝ち進んでいるのは2万騎を率いて参陣した自分のお蔭だという気持ちがあり、それが見え隠れしたのだろう。
なにしろ、石橋山の合戦で平家軍に惨敗、房総半島に逃げ延びての再挙兵だが、頼朝直属の部下はわずか5~6名。
有名なエピソードがある。
頼朝の呼びかけに応じて、広常は2万騎を率いて駆けつけるが、頼朝は喜んで感謝するどころか叱りつけた。
「なぜ、もっと早く来ないのか」
広常は、「頼朝殿は、まさに大将軍の器だ」 と感じ入った。
上洛して平家を倒すことより東国での割拠を志向する広常と、武家政権の樹立を目指す頼朝とは、国の統治に対する考え方が相容れなかった。
もしかしたら謀反のうわさは頼朝の側近が流したもので、根本的なところで考え方のちがう広常を消したかったのかも知れない。
そのため、景時に暗殺させたのではないだろうか。
寿永3(1184)年正月、景時と嫡男の梶原景季は、源義仲との宇治川の戦いに参陣を命じられる。
景季と佐々木高綱との先陣を争いは、この戦いでのことだ。
景季は一躍、武名をあげる。
戦いのあと、源範頼や義経、安田義定 (甲斐源氏) らは、戦勝を鎌倉の頼朝へ報告したが、いずれも、
「木曽義仲を敗死させました」 程度のかんたんな内容。
景時の報告書だけが、違っていた。
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平家物語の群像 景時④広常暗殺の真相
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