JR湯河原駅前
景時は、義仲を仕留めた場所やその時の戦いの様子、討ち果たした主な敵将と彼らの首をあげた者の名前などを、詳細にかつ分かりやすく記している。
頼朝は、景時の的確な事務処理能力と、簡にして要をえた報告文に舌を巻いた。
同年2月7日、一ノ谷の戦いにおいて初めは土肥実平が範頼の侍大将 (大将軍の下で実際に軍を指揮する者)、
景時が義経の侍大将になっていたが、それぞれ両者のそりが合わずコンビの相手を交替した。
範頼の大手軍に属することになった梶原父子 (景時 景季 景高) は、生田口を守る平家軍の主力である平知盛や平重衡と相まみえる。
平知盛⑤知盛卿は生田森の大将軍にて
平重衡①重衡卿は生田森の副将軍
この戦いにおいて、景時は 「梶原の二度駆け」 と呼ばれる働きをする。
『平家物語』によると、弟の景高は一騎で敵中に突入して大苦戦。これを救おうと、父景時と兄景季が平家陣へ攻め入ったが、今度は、景季が深入りしすぎて戻ってこない。
景時は、「景季は、敵陣深くはいり込んで討たれたのではあるまいか」 と心配で涙を流しながら、再び平家の陣中に突入していった。
わが身をかえりみず息子たちを救うために2度、敵陣に突入していったことを 「梶原の二度駆け」 という。
景時が、景季を救いに行った場面を原文で。
(原文) 梶原まづ我が身の上をば知らずして、「源太 (景季) は何処 (どこ) に在るやらん」 とて駆け破り駆け廻り尋ぬるほどに、案の如く、源太は馬をも射させ徒歩立ちになり、
甲をも打ち落され大童 (おおわらわ:ざんばら髪) に戦ひ成つて、二丈 (約6m) ばかりありける岸 (がけ) を後に当て、
郎等二人左右に立て、打物 (うちもの:刀などの打ち合って戦うための武器) 脱いで敵五人が中に取り籠められて、面 (わき目) も振らず 命も惜しまず、此処を最後と攻め戦ふ。
(原文) 梶原これを見て、「源太は未だ討たれざりけり」 と嬉しう思ひ急ぎ馬より飛んで下り、「いかに源太、景時ここにあり。同じう死ぬるとも敵に後ろを見すな」 とて、
父子して五人の敵を三人討ち取り二人に手負はせて、「弓矢取 (武士) は駆くるも引くも折にこそよれ。いざうれ源太」 とて掻い具してぞ出でたりけり。梶原が二度の駆とはこれなり。
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