二十二帖 玉鬘
光源氏.太政大臣 35歳4月~10月
玉鬘 21歳 京・九条
六条院全景 風俗博物館
手前右:春の御殿 源氏と紫の上、明石の姫君の住居
手前左:秋の御殿 秋好中宮の住居(故六条御息所の住居跡)
奥の右:夏の御殿 花散里と夕霧の住居。東の対に玉鬘
奥の左:冬の御殿 明石の君の住居
三稜 みくり
カヤツリグサ科の抽水性多年草。薬用植物
ウキヤガラの別称
右近、
「源氏の君のお心のままにしてくださいませ。
内大臣にお知らせするとしても、殿のほかのどなたがお耳に入れることができましょう。
お亡くなりになった夕顔さまの代わりに、玉鬘さまを大切になさることがきっと罪滅ぼしになりましょう」
「ひどい言いがかりだね」
源氏は苦笑いしながらも、涙ぐんでいる。
「夕顔とはなんと悲しくはかない縁だったのだろう。
六条院で暮らしている女君たちの中でも、夕顔ほど深く愛した女はいなかった。
わたしの愛情が変わらないことを見届けてくれている人が多い中、夕顔だけは*「あんなこと」になって--。
形見の玉鬘がこちらに来てくれるなら、どんなにか嬉しいだろう」
翌日、源氏は玉鬘に手紙を書いた。
宮家に生まれた末摘花にさえ教養がなかったことを思い出して、同じく落ちぶれた境遇で育った玉鬘のたしなみが不安になったのである。
どんな返事をよこすか、手紙の書きぶりを見たいと思ったのだ。
源氏は、模範的な文面をしたためて和歌を添えた。
もちろん、六条院に引っ越してくるように誘っている。
〇 知らずとも 尋ねて知らむ *三島江に
生ふる三稜の 筋は絶えじを
今はご存知なくてもいつか誰かに尋ねてお分りになりましょう
三島江に生えている三稜の葉の筋が多いように
あなたと私との縁はたえないことを
玉鬘や女房たちのための上等な衣装のほかたくさんの贈り物とともに、右近が手紙を持参した。
源氏からの手紙を読み終えた玉鬘、
「本当のお父上のお気持ちならば、どんなに嬉しいことでしょう。
どうして、知らない方のお邸に身を寄せられましょう」
悩んでいる玉鬘を、右近や女房たちが慰める。
「源氏の君のお邸でお暮らしになられているうち立派な姫君になられたら、そのうち右大臣様のお耳にも入りましょう。
親子のご縁は、けっして切れるものではありません」
* あんなこと
源氏と添い寝しているところを六条御息所の生霊に襲われて
夕顔が頓死したこと
* 三島江
三島江は、奈良時代の『万葉集』の昔から「淀の玉江」として、淀川の自然を代表する歌枕であり、多くの和歌に詠まれてきました。
江戸時代には対岸・出口(枚方市)との間に渡し舟があり、北摂と北河内を結ぶ地ということから大変にぎわったといいます。
また、三島江浜とも呼ばれ、北側の唐崎浜とともに、大坂と伏見を結ぶ淀川過書船――幕府から通行を許可された運搬船――などが出入りする河港でもありました。
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前方や左右の景観を楽しむのもいいが
ずっと航跡を見つめているのも一興です。