二十二帖 玉鬘
光源氏.太政大臣 35歳4月~10月
玉鬘 21歳 京・九条
玉鬘一行と右近一行は、椿市の宿の同じ部屋で
『屏風』を隔てて、各々身体を休めていた。
一夜を過ごすのは、長谷寺の本堂。
故・夕顔の娘(玉鬘)を
探すため御利益をえようと長谷寺に
参詣する途中『椿市の宿』に着いた右近は、
たまたま玉鬘一行と相部屋になり再会を果たす。
絵の右上に、『長谷寺』の長い階段が描かれている。
右近が屏風のすき間からのぞくと、確かに見たことのある男だ。
しかし、誰か、どうしても思い出せない。
ずいぶん若いときに会っているはずだが、遠い記憶と違って、目の前の男は浅黒く太っている。
身なりも、粗末だ。
その男が、女の名前を呼んだ。
「三条、お呼びです」
三条と呼ばれた女を見ると、これもまた見覚えがある。
亡くなった夕顔に長いあいだ仕えていて、隠れ家にもお供した下働きの女である。
そう分かると、右近は懐かしさと嬉しさが込み上げてきた。
夢のような心地であった。
「探しあぐねている玉鬘さまも、もしや、あそこに--」
そう期待するのも当然であろう。
右近は、屏風のすき間からけんめいに玉鬘を探した。
しかし、中にも置いてある小ぶりの屏風の向こうにいるのか、玉鬘の姿を見ることができない。
「三条に尋ねてみよう。
男のほうは、むかし、兵藤太(のちの豊後介)と呼ばれていた男にちがいない」
少しずつ解きほぐれてくると、右近は玉鬘のことを今すぐに知りたいと気があせった。
すぐさま侍女に屏風の向こうにいる三条を呼ばせたが、三条は食事に夢中になっていて、なかなかやって来ない。
ひどく憎らしく思ったが、それは右近の勝手というものである。
やっと、やって来た。
事情を話すと、
「身に覚えのないことです。
筑紫国に20年ほど過ごした下衆のわたしを、都の方がご存知のはずがありません。
人違いでございましょう」
三条は田舎じみた粗末な服を着て、ずいぶん太っている。
三条の体つきを見て、右近は他人事ではなく自分の年を思い知らされた。
「わたしの顔をよく見てご覧、分かりませんか」
右近が顔を近づけると、驚いた三条は手を叩いて、
「あらまあ、うれしいこと、右近様ではございませんか。
どちらから、お参りに来られたのですか。
夕顔さまも、ご一緒ですか」
三条はそれだけ言うと、思いがあふれて声を上げて泣き出した。
三条の気持ちが収まるのをまって、右近がたずねる。
「乳母さまも、ご一緒ですか。
姫君(玉鬘)は、お元気ですか」
ただ、右近は夕顔のことを口にしようとしなかった。
三条、
「姫君はもう立派に成人されました。
乳母さまに、右近さまがいらっしゃることを知らせてきます」
7月の第3月曜日は海の日。
今月は、「海」にまつわる楽曲を集めます。
絶望名言
束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。
悲しみがあるからこそ、私は高く舞い上がれるのだ。
逆境があるからこそ、私は走れるのだ。
涙があるからこそ、私は前に進めるのだ。
ガンジー
インドの弁護士、宗教家、政治指導者 1869~1948年
2007年6月の国連総会で
ガンディーの誕生日を【国際非暴力デー】
という国際デーとすることを決議した。

