第二十二帖 玉鬘
光源氏.太政大臣 35歳4月~10月
筑紫時代の玉鬘
壺装束つぼしょうぞく
平安期以降における中・上流女性の日常
の外出や物詣に出かける時の旅姿。
特別な衣服形態があったわけではない。
裾の長い衣服を
歩き易くするために、腰で『つぼ折り』
(つぼめて端折った形) にして着用した。
髪は小袖の中に入れ、草履を履き、
市女笠いちめがさを被るか頭を衣で覆った。
乳母と娘たちは、霞のはるか先にある都を偲んでは懐かしさが込みあげ、涙を流すことが度々ある。
夕顔の行方が分からないだけに、いっそう玉鬘が寂しい思いをしないように心を配りながら世話をしていた。
大宰府で暮らすことおよそ17年、玉鬘は成人して夕顔に劣らないほど美しく成長した。
また、田舎育ちとはとても思えないほどに垢ぬけて気品があり、みごとな歌を詠む教養人でもあった。
当然のごとく、地元の有力者たちから熱心な求婚が殺到する。
さながら、かぐや姫状態であった。
任期が終わっていよいよ帰京しようとした矢先、太宰少弐が急な病で倒れた。
少弐は余命いくばくもないことを自覚せざるをえず、不吉なほどに美しい玉鬘を自らの手で都に連れて帰る状態ではなくなった。
「いま、私がここで死んだら姫君はどうなられるのだろう。
このまま、辺鄙な田舎でお暮らしになるのは余りにも恐れ多い。
早く都にお連れして、しかるべき方にお知らせしなければならないが、私はこの地で果ててしまいそうだ」
三人の息子たちに遺言した。
「三人で力を合わせ、何としても姫君を無事に都へお連れしなさい。
そのことだけを考えて、私の供養などしなくともよい」
少弐夫妻は玉鬘がだれの子供かということを大宰府政庁の人たちにも知らせず、次のように言いつくろっていた。
「私たちの孫ですが、ある理由があって特別に大切にしなければならないのです」
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ひとりの野球少年がずっと憧れてきた
スーパースターと同じ土俵で会えた喜びと自負心。
形は似ていないけれど、
無敵の横綱千代の富士から新進の貴乃花に
政権交代した時のことを思い出します、
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絶望名言
命もいらぬ、名もいらぬ、官位も金もいらぬ
というような人物は処理に困るものである。
このような手に負えない人物でなければ、
困難を共にして、国家の大業を成し遂げることはできない。
西郷隆盛
1827~1877年
幕末、明治維新の元勲。政治家で軍人
通称:吉之助。南洲と号した。薩摩藩下級士族の出身
西南戦争最大の激戦地、田原坂
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