俊寛僧都忠誠之碑 鹿ヶ谷山荘跡に立つ石碑
平清盛という政治的野心をもった武士が日本史上に登場した意味は、それまでの藤原氏中心の貴族政治から武家による政治へと、歴史の歯車を大きく回転させたことにあろう。
受領として蓄えた財力に貴族にはない武力が加われば、貴族社会などひとたまりもない。
ただ、初めての武家による政権は中途半端であった。
武家でありながら、当然の如くに貴族化していく。
天下の権を握るために、貴族社会という既成の枠組みの中で官位を上げていったのだ。
このことは、次に政権を担った源頼朝の例を見れば明らかであろう。
頼朝は、貴族社会とは切れた独自の武家政権である幕府を、鎌倉という遠隔の地に開いた。
官位を上げようという発想は、そもそもない。
平家が貴族化していったことは、武家による政権のおこぼれを少なからず期待していた各地の武士団の反感を買った。
同時に、既得権を奪われた貴族らも反発した。
平時忠が、「平家にあらずんば人にあらず」とこの世の春を謳歌したということは、平氏に恨みを抱いている不満分子がたくさんいたということの裏返しである。
安元3(1177)年6月、平家を打倒しようと、不満分子が鹿ヶ谷の俊寛僧都の山荘に集結した。
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