第十九帖 薄雲
光源氏内大臣時代 31歳冬~32歳秋
仁和寺の桜
仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ~
すこしのことにも先達はあらまほしき事なり 『徒然草』吉田兼好
下鴨神社の紅葉
『源氏物語』 第九帖 「葵」 第一章
賀茂祭/葵祭の御禊の日、行列に参加する光源氏
の晴れ姿を一目見ようと、葵の上が乗っていた牛車と
六条御息所の牛車が場所取りをめぐり【車争い】が起きた。
「この年齢になると、もはや世の中のことに望みなどありません。
これからは花鳥風月を友として、四季折々の季節の移ろいを何よりもの楽しみとして生きてゆこうと思っております。
春にあでやかに咲く桜か、秋にしみじみと照り映える紅葉か。
どちらがより素晴らしいか、昔からたびたび比べられてきましたが、今なお決着はついておりません。
春秋の花々の色彩や鳥のさえずり、虫の音の美しさなどの優劣をにわかに判別することができません。
唐土では春の花の華麗さに勝るものはないとしている一方、わが国の和歌では秋の紅葉のしみじみとした情緒をとくに優れたものとして愛でております。
あなたは、春と秋のどちらを好まれますか」
梅壺女御は答えるのを躊躇したが、黙っているわけにもいかず、
「源氏の君さえお決めになれないことを、どうしてわたくしなどに春と秋の優劣を判別できましょうか。
どちらが素晴らしいということではありませんが、
古歌に、「秋の夕べはあやしかりけり」と詠まれておりますし、
母上の亡くなられたのも「秋の夕べ」。
それゆえ、【秋】ということに--」
飾り気のない言い方がとても可憐なので、源氏は恋心を抑えることができず、
○ 君もさは あはれを交はせ 人知れず
わが身にしむる 秋の夕風
あなたも秋の夕にしみじみとした趣を覚えるのなら、思いを同じくするわたしとも心を通わせてください。
秋の夕風が人知れずわたしの身にしみているのですから。
源氏のたびかさなる求愛に嫌気がさして、梅壺女御は几帳の奥の方へ入っていった。
「本当にわたしのことがお嫌いなのですね。
情けを知る人は、そのような振る舞いはしないものですよ」
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