平重衡 安福寺所蔵
『平家物語』は、文字通り「物語」である。
すぐれた文学作品であり、歴史的事実を客観的になぞる「史書」ではない。
「物語」を面白くする効果をねらって、時には嘘をつく。
嘘があるからといって、作品としての価値が下がるわけでは無論ない。
ここでは、息子たちを『平家』の内容に即して並べ、個々人を独立させて記述するときに、「嘘」の部分を指摘したい。
○嫡男 重盛 (母は明子 小松内府 勝村政信)
「善人」の重盛が、「悪人」の父・清盛をいさめるという構図になっている。
温厚篤実で学識があり、武人としても優れた理想的人物。
保元・平治の乱で功をたて、従二位の内大臣まで進み、「小松内府」と呼ばれた。
源頼朝が伊豆で挙兵する前に亡くなり、後継者と思い定めていた清盛を嘆かせた。
○二男 基盛 (母は明子 右近将監高階基章の娘) 早世
○三男 宗盛 (時子の産んだ長男 鶴見辰吾)
清盛没後、器量不足をいわれたが家督を継ぎ平家の棟梁となる。
官位昇進は早く、内大臣、従一位にまで昇った。
源義仲の入京を前に、一門とともに安徳天皇を奉じて西走。
壇ノ浦で入水したが、息子の清宗を探しているうちに捕らえられる。
敗軍の将として源頼朝の前に引き出されたとき、卑屈な態度に終始して助命を乞い、非難・嘲笑された。
京都に送還される途中、義経の命を受けた橘公長により、近江国篠原宿で斬首された。
○四男 知盛 (時子の次男 新中納言 阿部寛)
「入道相国最愛の息子」『玉葉』九条兼実。
源頼政を宇治川の合戦で滅ぼし、源行家を美濃に破るなど軍事面での中心的存在。
宗盛が父から貴族的な資質を受け継ぎ、知盛は武人的資質を受け継いだ。
捕虜を無用に殺すことは避ける温情の武将。
壇ノ浦では、一門の者たちが入水を果たすのを見守って、最後に入水。
「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」
○五男 重衡 (時子の三男 三位中将 細川茂樹)
尾張守、左馬頭、中宮亮、蔵人頭、左近権中将などを歴任、「三位中将」と呼ばれた。
治承4年12月には、知盛と反平氏勢力の拠点である南都攻撃の総大将として東大寺・興福寺を焼く。
翌3月には、尾張の墨俣川の合戦で源行家を破った。
都落ちの後も、備中水島の合戦で、足利義清らの軍を撃破するなど活躍した。
一ノ谷の戦いで生け捕りにされ、京中を引き回された後、鎌倉へ下向。
奈良僧徒の請で南都に送られ、木津川で斬首。
美貌の貴公子は人柄もよく、女性に大変な人気があった。
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