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平家物語の群像 平清盛⑤妻たちと娘たち

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$吉備路残照△古代ロマン-平時子 平時子(二位の尼)と安徳天皇 山口県下関市

○先妻 明子(高階基章の娘 重盛と基盛の母 加藤あい)

○後妻 時子(二位の尼 深田恭子)
中流貴族・平時信(公家平氏。清盛の流れは武門平氏)の娘。
平滋子(建春門院 後白河譲位後の妃 高倉天皇の生母 成海璃子)は異母妹。
平時忠(「平家にあらずんば人にあらず」 森田剛)は同母弟。

平清盛(松山ムケンイチ)に嫁し、宗盛・知盛・重衡・徳子(建礼門院)を産む。
仁安3(1168)年、清盛が病を得て出家した際、ともに出家。
承安1(1171)年、徳子が高倉天皇に入内して従二位を贈られ、二位の尼と呼ばれる。
治承4(1180)年、徳子が皇子(安徳天皇)を出産し、天皇の外祖母となる。
一門とともに都落ちし、壇ノ浦で安徳を抱いて入水。



○長女(修理太夫藤原信隆の妻)
歌や絵に優れた才女で、仏教に帰依、毎日『法華経』を読経していたと伝わる。

○二女(左大臣藤原兼雅の妻)
絵にすぐれ、紫宸殿の障子にも描いたと伝えられている。

○三女 徳子(建礼門院 高倉天皇の中宮 安徳の生母)→後日、独立記事に
壇ノ浦で安徳と共に海に投じたが、源氏に救われる。
剃髪して真如覚と号して、洛北大原の寂光院に住んだ。

○四女 盛子(もりこ/せいし 摂政藤原基実の妻)
11歳のとき基実が死去、摂関家の遺領を全て相続した。
盛子の死による摂関家領の帰属問題は、後白河(松田翔太)と清盛の全面衝突を惹起する。

○五女 完子(寬子 さだこ/かんし 近衛基通の妻 衣通姫)
基通は基実と先妻の間の息子だから、盛子の義理の子。
別名を「衣通姫(そとおりひめ)」と呼ばれたほど肌が美しく、和歌に優れる。
平家の都落ちの時は、安徳天皇のお供をして西下した。

○六女(冷泉大納言藤原隆房の妻)
類まれな美貌に恵まれた箏琴の名手。

○七女 御子姫君(みこのひめぎみ)
厳島内侍(厳島神社の巫女)との間に生まれ、後白河法皇から女御待遇を受ける。
母の厳島内侍が、『平家納経』を発願した。

○八女 廊御方(ろうのおんかた 母は常盤御前 義経の妹)
平治の乱で戦った義朝(玉木宏)の愛妾、常磐御前(武井咲)に生ませた娘。
壇ノ浦で捕らわれ、異父兄の源義経に護送されて都に戻る。
姉婿の藤原兼雅に女房として仕え、一女を産む。


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