文学好きの一条天皇の足を娘・彰子の部屋に向けさせるため、紫式部に『源氏物語』の執筆を依頼した。
月次絵つきなみえ 風俗博物館 京都市
1年間の行事や風俗を自然を背景に描いた屏風絵
藤原北家系図
藤原不比等の次男・藤原房前/ふささきを祖とする。
「文学好き」や「歴史好き」の方なら、馴染みの名前が続々とーー。
『源氏物語』関連だけでも、紫式部・道長・定子・定家・公任--。
系図には載っていないが道長の娘の彰子。
『 源氏物語』は彰子のために書かれた。
紫式部と道長の先祖をたどると、ともに摂関政治の基礎を築いた冬嗣にいきつく。
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帝の足を娘の部屋に向けさせるため、色々と工夫を凝らした。
娘の彰子が文学好きの一条天皇の寵愛を得るため、藤原道長は紫式部を招いて『源氏物語』を書かせたのか好例だろう。
それまでは、帝は彰子の従姉でライバルでもある定子のもとへ足しげく通っていた。
定子は、清少納言を中心とした高度な【文化サロン】を形成していたのである。
冷泉帝は、夜は弘徽殿女御の部屋と梅壺女御の部屋に平等に足を運んだが、明るいうちはどうしても年齢が近く気心の知れた【弘徽殿】に渡ることが多かった。
源氏が危機意識をもつのは当然である。
一方、頭中将も安閑としてはいられない。
今を時めく実力者のせめぎあいの中で兵部卿宮は娘を入内させる時機を見計らっていたが、なかなか好機を見いだせないでいる。
宮と源氏は仲のいい「碁敵」だったが、苦難の時代の源氏に手のひら返しのように辛く当たったことを源氏が忘れていないからだ。
「冷泉帝が成人されたら、よもや、お見捨てになることはあるまい」
冷泉帝はなによりも絵を愛した。
鑑賞するのはもちろん、宮中の誰よりも巧みに描いた。
梅壺女御もまた絵がたいそう好きで、描くのも得意である。
梅壺女御の趣味が絵画であることを知った帝は、翌日の昼から、それまでの【弘徽殿】ではなく【梅壺】に通うようになった。
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『安倍内閣』の閣僚20名のうち、14人が【日本会議】の、19人が【神道政治連盟】の構成員。
国民の大多数が聞いたこともない得体の知れ






