藤壷女御→藤壺中宮→藤壺尼宮→藤壺准太上天皇
光源氏の「理想の女性」 (5歳年長) 風俗博物館/京都市
冷泉帝は、夫・桐壺帝ではなく光源氏とのあいだの不義の子
源氏物語が長く「禁断の書」だった要因?「万世一系」の建前が崩れる
若紫→紫の上
光源氏「最愛の妻」 (8歳年下 藤壺の姪) 風俗博物館
棊局/ききょく 碁盤
聖武天皇遺愛の碁盤 東大寺正倉院
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光源氏 紫の上 朱雀帝 明石の君 明石入道 弘徽殿大后 故・桐壺院 冷泉帝 兵部卿宮
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
藤壺尼宮は出家後しばらく右大臣一派に遠慮して参内しなかったが、時代の風向きが変わって「准太上天皇」になると、気ままに内裏に出入りするようになり息子の冷泉帝と面会した。
そんな藤壺を遠くから眺めながら、一時の隆盛はどこへやら、すっかり凋落した弘徽殿大后は嘆くほかなかった。
「有為転変は世の習い、とは言いながら情けないことになったものよ」
兵部卿宮(藤壺の兄)は、桐壺院が亡くなって右大臣一派が宮廷を牛耳るようになると、権力者の右大臣におもねって、実の娘である紫の上からの手紙に返事をよこさなくなった。
昔から気が合って親しく「碁盤」を囲んできた源氏にも、よそよそしい態度をとるようになる。
源氏が流謫地(須磨・明石)から都にもどって宮廷政治に復帰したとき、失意のころに兵部卿宮から受けた思いも寄らなかった冷たい仕打ちを忘れてはいなかった。
源氏は世間の人々にはいたって優しく接したが、宮に対してだけは冷淡な態度を取りつづけて藤壺を悩ませた。
宮は正妻とのあいだの娘を入内させようと、幼いころからしかるべき教養を身につけさせてきたが、源氏は取り合おうとしなかった。
宮廷政治は、源氏(この頃は、内大臣)と頭中将(権中納言)の二人で取り仕切っている。
☆源氏も頭中将も出世して「地位」が上がるたびに「呼び名」
が変わるが、混乱するので、「源氏」と「頭中将」で通します。
なお、頭中将は、源氏の正妻・葵の上の兄。
若いころから学問や文芸、音楽・舞いなどで競ってきた二人は、いよいよ政治の世界におけるライバルとなる。
頭中将は娘をその年の八月に入内させて、一歩リードした。
娘は冷泉帝の「第一夫人」となり、内裏の後宮でもっとも格式の高い弘徽殿にはいって弘徽殿女御となる。
源氏の母・桐壺更衣をいじめ殺したのも弘徽殿女御
呼び名が同じなのに別人であることが多いので、厄介です
祖父の太政大臣が入内の儀式を執りおこない、たいそう立派なものになった。
その年の秋、源氏は「願ほどき」のため住吉大社に参詣した。
・願ほどき 神仏に、祈願がかなったお礼参りをすること
あらかじめ命じられていたのか、あるいは全員が思わず立ち上がって拍手したのか。
「全体主義」の中国や北朝鮮と、どこが違う。
いまの自民党議員は、あまりにも情けない。
気持ち悪いほど、安倍さんの意のままに動く。
「右向け、右」、「回れ、右」、「後ろへ、進め」。
あなたの選挙区の自民党の先生はどうなんでしょう。
国民が、地元の有権者が、自分の「屈辱的な行動」を見ていると思わないのだろうか。
安倍一強の自民党内は、「恐怖政治」が支配しているのか。
25日に中国経由で来日するフィリピンのドゥテルテ大統領は、自らを「ヒットラー」になぞらえています。
沖縄に対する安倍政権の高圧的な姿勢が、悲しいほどに投影している。警察官が、沖縄の方に「土人」、「バカ」、「シナ人」などと。
絶対反対。石川健治氏の背景はよく知りません