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若紫(のちの紫の上) 光源氏 藤壺女御 兵部卿宮 尼君 僧都
紫式部の食事(推定)
受領階級(中流貴族)の食事はこんなに品数が多かった?
日常?ハレの日?
伝・土佐光起画 『源氏物語画帖 若紫(のちの紫の上)』
雀の子を逃がしてしまった若紫と、柴垣から垣間みる光源氏。
若紫は、光源氏が恋い焦がれている藤壺と瓜二つであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
源氏すなわち紫式部は、平成の世を生きている者には理解しがたいことを語りだす。
紫の上が、耳をふさぎたくなるよう事をペラペラしゃべるのだ。
「妻」に、「愛人」(当時)の美点や思い出などをいろいろと説明するのである。
なお、紫の上は「最愛の妻」ではあるが、「正妻」ではない。
葵の上亡きあと、今のところ源氏に正妻はいない。
「誤解されては困るので詳しくは話しませんが、明石の人をそれなりに気づかっているのは、ある考えがあってのことなのです」
そこで、ちょっと言いさして、
「人柄がとても美しく感じられたのは、明石という心寂しい土地柄で会ったからでしょう」
それから源氏は、紫の上を前に、
「しみじみとした夕べ、明石の君と並んでながめた塩を焼くときに立ちのぼる煙、
ほの暗いなかで見た、明石の君の清楚な姿、
なんどか和歌を詠み交わしたとき、明石の君の和歌のみごとな出来栄え、
明石の君が情感にまかせて奏でる、琴の音色の優美なこと」
そんな、明石の君に心ひかれたときの様子を紫の上に話した。
まるで紫の上に嫌がらせをしているような---。
「一夫一婦制」の今と、「一夫多妻制」の当時とは男女の関係にかかわる感覚がいくぶん違うのだろうが。
紫の上はもちろん、心中おだやかではない。
「わたしは都でひとりさびしく光君のお帰りをお待ちしていたのに、光君はたとえ一時の気晴らしだったにせよ、明石の人に情をかけておられたのだわ」
だんだん恨めしさがつのって、「わたしは、わたし」とそっぽを向いた。
「お二人はずいぶん仲がよくて、心が通いあっておられたのですね」
紫の上は、ひとり言のようにつぶやいた。
時の権力者をわたり歩いた「渡り鳥作戦」が、この日のためだったのであれば、素直に脱帽します。
自民党および公明党と対立した形で都知事選に
圧勝したゆえ、腐臭を放つ都政の大掃除ができる