寝殿造り平面図
平安中期に成立した貴族の住宅形式。中央に寝殿をおいた
寝殿平面図
寝殿造りの中心的な建物。正殿(せいでん)
『東三条殿』復元模型
藤原摂関家の邸。『東三条院』とも。
平安京の貴族邸宅のひとつで、代表的な寝殿造り。
平安初期の藤原良房(よしふさ/藤原北家全盛の礎を築いた)の邸とされ、969(安和2)年に藤原兼家(かねいえ/道長の父)が改築した。
藤原北家
藤原不比等の次男・藤原房前/ふささきを祖とする。
「文学好き」や「歴史好き」の方なら、馴染みの名前が続々とーー。
『源氏物語』関連だけでも、紫式部・道長・定子・定家・公任--。
たまたま載っていないが道長の娘の彰子。『 源氏物語』は彰子のために書かれた。
紫式部と道長の先祖をたどると、ともに冬嗣にいきつく。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
宣旨の娘は、都から遠くはなれた海辺の寒村にやってきた寂しさを忘れたかのように、源氏の娘の世話に心をくだいた。
ところで、源氏はまだ、明石に娘が生まれたことを紫の上に話していない。
もし紫の上が風のたよりかで先に耳にするようなことがあれば、ひどく気を悪くするであろう。
源氏は、源氏なりの弁明をした。
「どうやら、明石に赤ん坊が産まれたようです。
世の中はうまくいかないもので、赤ん坊がほしい所には産まれず、どうでもいいところに産まれました。
しかし、女の子です。
ほっといてもいいのですが、なかなかそうもいきません。
こちらへ呼ぼうと思っていますが、どうか恨みに思わないでください」
紫の上は赤面しながら、
「光君は、たびたび妙なことをおっしゃる。
そのようなご注意をいただくたびに、わたしは自分の心のせまさが嫌になります。
それはそうと、嫉妬ということを、いつどなたに教えていただいたのでしょう」
源氏は苦笑しつつ、
「そうですね。いったい、だれが教えたのでしょう」
紫の上は十歳の少女のころから源氏を父とも兄とも慕い、いつしか愛し合ってきた長い歳月を振り返った。
また、季節の移ろいごとに数限りなく手紙のやりとりなどを重ねてきた事実の積み重ねに思いを馳せた。
そうすることによって、やっと、心の中に余裕のようなものが生まれた。
「光君の浮気心はすべて、一時の気まぐれに過ぎないのだわ」
源氏すなわち紫式部は、平成の世を生きている者には理解しがたいことを語りはじめる。
清少納言と紫式部―和漢混淆の時代の宮の女房 (日本史リブレット人)/山川出版社
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サンディアゴ(スペイン)の巡礼路は淡々とした高原の道で、自分の影だけをじっと見つめながら歩く単調な旅です。
一方、四国の遍路道は山もあれば、海辺もあります。
遍路は弘法大師空海と共に歩くという意味から「同行二人」とされますが、山では森や岳、そして海辺では海の神仏たちと出会い、