明石駅前
明石は、いまも、須磨より賑わっている
牛車(ぎっしゃ)
財団法人宗教文化研究所/風俗博物館 京都市
鎌倉・明月院の苫屋(とまや)
浜の館跡 明石入道の邸宅跡
明石に着いた光源氏は、「浜の館」に住むことになる
兵庫県明石市大観町 善楽寺戒光院
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
すると、明石から須磨に向かったときと同じく、ふたたび不思議な風が吹いてたちまち明石の浦に着いた。
海岸に広がる美しい白砂青松のたたずまいは、なるほど噂にたがわず格別の趣がある。
ただ、夜明け前の浜辺を、数え切れないほどの男女が大声をあげながら慌ただしく行き交っていることが、源氏の気に染まなかった。
漁師たちの暮らしぶりなど、源氏は知る由もない。
明石入道の所領地は広大で、浜から山の麓まで続いている。
砂浜からすこし離れた場所に、「浜の館」と呼ばれている入道の豪壮な邸宅がそびえている。
入道は、海からほど近いところに苫屋をたてて、四季折々の季節感を楽しんでいた。
また、来世についてあれこれ想うにふさわしい山の麓には、小川に沿って念仏堂を建て日々勤行に勤めている。
先般の高潮を恐れて、娘(のちの明石の君)などは山の方にある「岡辺の宿」に住まわせている。
源氏は「浜の館」で暮らすようにすすめられた。
源氏が波打ち際で舟から牛車に乗り換えるとき、入道は初めて、朝日に照らされた源氏の姿を目の当たりにした。
その瞬間、入道は老いを忘れ寿命も延びる心地がして、真っ先に住吉の神に感謝した。
月と日の光の両方を、いっぺんに手に入れた心地である。
源氏にとっても、辛いことばかりが多かった須磨での侘しい暮らしを抜け出して、
これから明るい生活が開けるような予感がしていた。
「浜の館」のすべての部屋にしつらえてある調度品や飾りつけなど立派なもので、都の公卿の邸宅と比べても遜色がなく、華やかで優美な様はむしろ勝っているように見える。
明石での新しい生活に慣れてきたころ、源氏は都への手紙をしたためた。
暴風雨が吹き荒れひっきりなしに稲妻がひらめいては雷鳴の轟くなかを、紫の上から遣わされた使いの者は、疲れきった心身を休めるためにまだ須磨にとどまっている。
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明石⑧浜の館
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