月岡芳年画『神功皇后』
早稲田大学演劇博物館デジタル
「記・紀」神話によると、仲哀天皇が熊襲を討つため九州におもむき筑紫の香椎宮で急死すると、同行の神功皇后は妊娠中にもかかわらず、武内宿禰(たけのうちすくね)とはかり、新羅に遠征した(三韓征伐)
新羅降伏後、筑紫に帰って応神天皇を産んだという
明治から太平洋戦争敗戦まで、学校教育では実在の人物とされていた
住吉大社本殿 大阪市
「住吉の神」は、イザナギノミコトが黄泉の国から戻って、ミソギハラエをしたとき、海の中から現れた
のぞきの系譜@記紀神話 イザナギとイザナミ③
『住吉大社の歴史 』によると、211年、神功皇后により「住吉大神」が鎮祭された
摂津国一宮で、全国に約2300社ある住吉神社の総本社
「海の神」、「航海安全の神」として信仰されている
下関の住吉神社、博多の住吉神社とともに「日本三大住吉」の一社であり、初詣の参拝者の多さで、全国的に名高い
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「わたしが、どんな罪を犯したというのだ。なぜ、こんなにも絶望的な憂き目に遭わなければならないのか。
たいせつな両親にも愛しい妻子にも会えないまま、死なねばならないとは」
源氏は、従者たちがひどく脅えている様子をみて、
「たとえ過失を犯したからといって、こんな海辺で命を落とすものか」
励ますと、色とりどりの幣帛を住吉大社に奉って願を立てた。
幣帛(へいはく) 神に供える物の総称。衣服、紙、玉、酒など
「この辺り一帯を、ご鎮護なさっている住吉の神よ。
もし、「仏・菩薩」が、人々を救うため仮に「日本の神の姿」をとり、住吉の神として、この世に現われておられるのならば、どうか私たちをお救いください」
*本地垂迹(ほんじすいじゃく)説
神の本地は仏であり、仏が人々を救うために日本の神となって垂迹したという神仏習合思想
平安時代に起こり,鎌倉時代以降盛んになった
従者たちも気持ちを奮い起こし、声を合わせて仏神に祈った。
「私たちはどうなろうと構いません。源氏の君だけは、何としてもお救いください」
住吉大社の方角を向いて、さまざまに願を立てる。
それから、海龍王など、八百万の神々にも願を立てて祈った。
だが、必死の祈りもむなしく、稲妻が閃いたと思う間もなく、凄まじい雷鳴が耳をつんざく。
とうとう、源氏の部屋につづく廊下に雷が落ちた。
炎が燃え上がって廊下は焼け、一瞬にして黒焦げになった。
だれもかれも生きた心地もせず、どうしていいかも分からず慌てふためいている。
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明石④住吉の神
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