光源氏 藤壺中宮 桐壷院 弘徽殿大后 朱雀帝
東宮(皇太子)
赤坂東宮御所
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
十月に入ると、桐壷院の病状がたいそう重くなった。
朱雀帝が、心配してやってきた。
院はひどく衰弱しているが、東宮の後事を託したあと、源氏のことにも触れた。
「光を頼りにしなさい。
まだ若いが、あれは政治を執らせても間違いないだろう。
世の中を治める相のある人物だ。
それゆえ、わたしは光を親王とはせず、臣下として、朝廷の後見役にしようと思ったのだ。
そうした私の心づもりを忘れないように」
しみじみと心を打つご遺言が多かったのですけれど、政治のことを女(紫式部)が書くべきことではございませんので、そのほんの一部を語るだけでもずいぶんと気が引けることです。
東宮は、帝と日をずらしてお見舞いに訪れた。
東宮は源氏と藤壺とのあいだの子供だが、院は(多分)自分の子と思っている
宮廷の童形(どうぎょう)服
桐壷院は朝廷のしきたりや行事などいろいろな事を教えるが、まだ童形の東宮は幼くて理解できていないようなのが気がかりだった。
源氏には、朝廷に仕えるための心構えをさとし、また東宮をしっかり後見するように頼んだ。
弘徽殿大后もお見舞いに上がろうと思っているが、藤壺中宮がずっと院の枕元に付き添っている。
ためらっているうちに、桐壷院はさほど苦しむこともなく亡くなってしまった。
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Amazon.co.jp 「源氏物語」によると、紫式部のころは女性が「政治」を語るなんてことはありえなかったよ