太政官制
太政大臣は常設ではなく、しかも名誉職的な色彩が強い。
通常は左大臣(関白を兼任することも)が最高位であり、今でいう内閣総理大臣にあたる。
ただし、『源氏物語』においては、源氏の義父の左大臣ではなく、東宮(のちの朱雀帝)の「外祖父」である右大臣が実権を握っている。
光源氏 葵の上 左大臣 弘徽殿女御 桐壺帝 四の君 右大臣
夜になって源氏が御帳台の中へはいっても、葵の上は入ろうとしない。
家の繁栄のためにも孫がほしい左大臣の期待に背くことになるが、源氏は今ここで強く誘う気にはならない。
源氏が12歳、葵の上が16歳のときに結婚した夜の床入りから、しっくりいかなかった。
男が12歳で女が16歳というのは人としての成熟度にかなりの開きがあると思うが、当時はどうだったのだろう。
逆に、女が12で男が16ならば、なんとかバランスはとれそうな気がする。
あるいは、10年後の、22と26であればいたって自然だろう。
それくらいの「姉さん女房」は幾らでもいるのではないか。
とにかく、平安期は男が12で女が16ほどのカップルは珍しいことではなかったようだ。
特に貴族階級はほとんどが政略結婚だから、年齢なんかに構っていられなかった。
その場合、夜の営みのことは女房が前もって姫君に手ほどきをしたそうだ。
そして当夜、花嫁が年下の男の子をリードしたらしい。
増殖中らしい草食系男子にとってはユートピアかもしれない。
こう書いてくると、源氏と葵の上がぎくしゃくしている理由が十代における年の差にあったように聞こえるかもしれないが、主な原因はそこではなかった。
主因を考える際のヒントになる話が、さっそく次に展開する。
源氏はいつしか鞍馬の若草のような姫君のことを考えはじめている。
「藤壺様そっくりの姫君をぜひとも二条院に引き取って、心の慰めにしたい」
翌日、源氏は僧都と尼君に手紙を書いた。
尼君への和歌。
○面影は.....身をも離れず.....山桜
.....心の限り.....とめて来しかど
山桜のように美しいあなた(姫君)の面影がわたしの身から離れません。心のすべてをそちらに置いて来たのですが
尼君からの返歌。
○嵐吹く.....尾の上の桜.....散らぬ間を
..... 心とめける.....ほどのはかなさ
激しい嵐が吹いてやがては散る峰の桜の咲いている間だけ、お心を寄せられたのでは
僧都からの返事も似たような文面なので、源氏は残念に思って、2、3日後に惟光(これみつ)を鞍馬に遣わした。
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若紫⑯惟光を鞍馬へ
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