「花籠を肘に掛けて、岩つつじを持っておられる方が建礼門院様でございます。薪と蕨をお持ちなのが亡き安徳天皇の乳母で、故:平重衡殿の北の方・大納言典侍殿です」
阿波内侍は、言い終わらないうちに涙ぐんでしまった。
後白河も、女たちの様子のあまりの変わりように目頭を熱くしている。
一方、後白河一行を目に留めた建礼門院は、山を下りることをためらっていた。
「世を捨てたとはいえ、こんなみすぼらしい姿を法皇様にお見せするのは恥ずかしい。消えてしまいたい」
だからといって、どうすることもできない。
山へ引き返すことも、草庵に下りることもできずに立ち尽くしていた。
そこへ阿波内侍が現れて、花籠を受け取った。
「世捨て人の常です。なんの差し支えがありましょう。早くお会いして、早々にお帰り頂きましょう」
建礼門院は気おくれしがちな気持ちを励まして、後白河と対面した。
そして、自ら体得した仏教思想を展開する。
「一度念仏を唱えては阿弥陀如来の来迎の光が窓に差すのを期待し、十度念仏を唱えては聖衆の来迎を待っているところに、思いがけない法皇様の御幸をたまわるとは。不思議な気がします」
「今を盛りとこの世の春を謳歌していても、全てはやがて滅び去ります。天上においても、衰える悲しみを免れることは出来ません」
「インドの須弥山にあるという善見城での長寿の楽しみは幻であり、果てることのない流転の中にあります。車輪が回るように迷いは続き、途絶えることはありません」
「それにしても、訪ねてくる者はいないのですか。何事につけて昔のことを思って、暮らしているのでしょう」
「訪ねてくる方はありません。ただ藤原信隆殿と藤原隆房殿の北の方から時折、便りを頂きます」
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