頼朝は何かにつけて、文覚に手紙を寄越した。
決まって、次のような文面のやりとりになる。
「六代御前の成長ぶりは、いかがですか。文覚房がむかし、この頼朝を占ったように、朝敵を征伐して、維盛殿の恥をすすぐほどの器量ですか」
「いやいや、六代殿は底抜けの愚か者です。ご安心ください」
「もし六代御前が謀反を起こせば、貴僧はその片棒を担ぐお人だ。しかしながら、頼朝が生きている間は、だれにも手出しはさせません。ただ、子や孫の代にはどうなるか……」
ふたりの間に交わされる手紙の内容を聞きつけた新大納言は、心配して改めて強く勧めた。
「六代、今すぐに出家なさい」
16歳になる文治5年(1189)の春、六代は美しい髪を肩の辺りで切り落とし、すぐに修行に出た。
斎藤五宗貞と斎藤六宗光が、お供する。
まず高野山へ上って、父・維盛を仏道に導いた滝口入道時頼を訪ねた。
父の出家のいきさつや臨終の様子などを詳しく聞いて、それから父の足跡を訪ねようと熊野権現に参詣した。
浜の宮という王子社から、父が渡ったという沖合に浮かぶ島を眺めているうちに六代も渡りたくなったが、吹きつける波風が激しくてかなわない。
打ち寄せる白波にたずねてみた。
「父上は、どの辺に沈まれたのか」
六代には、浜辺の砂が父の遺骨のようになつかしく、海女の衣ではないが、袖が涙で乾くことがなかった。
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「1票の価値」は全ての国民に平等であるべきなのに、現状は最大で2.43倍の格差がある。都会の人口密集地に住んでいる佐藤太郎さんより、過疎地の田中花子さんのほうが、選挙の際に大きな影響を揮えるわけだ。
こうした不平等な状態で行われた「昨年12月の衆院選」を、広島高裁は「違憲・無効」とした。
政治の怠慢が、司法によって初めて断罪された。