文治2年(1186)8月22日、高雄の文覚上人は、頼朝の父・義朝のドクロを首に掛けて関東へ下っている。
それに先立つ治承4年(1180)7月、文覚は、頼朝に平家への謀反を勧めるために、怪しげなドクロを白い布に包んで差し出した。
「これは義朝殿の首だ。仇を討て」
頼朝はほどなく平家を倒して天下を取るが、文覚は今また別のドクロを探し出して、首にかけ鎌倉へ向かっている。
このドクロは、義朝が年来召し使っていた藍染職人が、平治の乱後に獄舎の前の苔の下に埋もれたまま誰も弔う者のなかった義朝のドクロを、検非違使の別当を説得してもらい受けたものである。
『頼朝殿は今は流人ですが、将来有望な方です。いつか、義朝殿の亡き骸を探されることでしょう』
こうして藍染職人が東山の円覚寺に深く納めて置いた義朝のドクロを、文覚が探し出して首に掛け下向しているのだ。
どうやら今度のは本物らしい。
文覚がもうすぐ鎌倉へ入ると伝えられると、頼朝は片瀬川のほとりまで迎えに出た。
それから、喪服に着替えて鎌倉へ戻った。
文覚が屋敷の縁側に立ち、頼朝は庭に立って目に涙を浮かべながら父のドクロを受け取った。
少年の時に別れた父・義朝のドクロとの再会。
哀れである。
その様子を見ていた大名や小名たちも皆、泣いた。
頼朝は険しい岩山を削って、父の菩提を弔うための道場を造り、勝長寿院と名づける。
都にそのことが伝わって、朝廷は故・源義朝に内大臣正二位を贈った。
勅使は左大弁・源兼忠であったという。
頼朝は武勇の名誉を得たことで、身を立て源氏を再興しただけでなく、亡き父の霊に贈官・贈位の名誉を与えられた。
まことに比類のないことである。
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