平知盛亡霊の図 歌川国芳画
東大寺大仏の頭部が落ちた斉衡(さいこう)の大地震から83年たった天慶(てんぎょう)2年(939)4月2日に大地震に見舞われた時には、朱雀(すざく)天皇は崩壊した清涼殿を去って、常寧殿の前に五丈(1丈は約3.03m)の仮屋を建てた。
しかし、それら2つの天災は上代のこと。
よもや今の世に、このような激震が大地を走ろうなどとは誰しも予想していなかった。
どこからともなく、流言飛語が飛び交った。
もしかしたら、今度の壊滅的な大揺れは滅亡した平家の怨霊によるのではないか。
一門の祟りで、このまま世が滅ぶのではないか。
心ある人はみんな嘆き悲しんだ。
平家の血を引いていた故・安徳天皇が都を落ちて、身を壇ノ浦の波の底に沈めた。
平家一門の大臣や公卿や女房らは、合戦の中で斬られたか入水したか、あるいは生け捕りの憂き目にあって都に戻されたうえ、市中を引き回されて首を刎ねられた。
流罪になって、妻子と別れ別れになった者も多い。
つい先ごろ、「平家にあらずんば人にあらず」とうそぶくほどに栄耀栄華をきわめた平家が、あれよあれよという間に滅び去ったのである。
源頼朝と後白河法皇らに対する一門の恨みつらみは、骨髄に徹していたであろう。
元暦2年(1185)8月14日、元暦は文治(ぶんじ)と改元された。
平家物語〈1〉 (岩波文庫)/岩波書店
¥903
Amazon.co.jp
奇想の天才絵師 歌川国芳/新人物往来社
¥2,205
Amazon.co.jp
↧
平家物語の群像 大地震③平家一門の祟りか
↧