平重衡
重衡(しげひら)は頼朝と対面したあと、伊豆国の狩野宗茂に預けられていた。
…… …… 平重衡⑰重衡、頼朝と対面
ほどなく、かつて南都焼き討ちにあった奈良・興福寺の大衆(だいしゅ:衆徒)が、しきりに重衡の身柄を要求してくる。
平重衡④南都攻めの大将軍は頭中将
頼朝はやむなく、源頼政の次男・頼兼(よりかね)を護送につけて、重衡を興福寺に引き渡すことにした。
重衡は罪人ゆえに都の中へ入れず、大津から山科・醍醐を経由する。
醍醐から、日野は近い。
日野には、その頃、重衡の北の方・藤原輔子(ほし/すけこ)が住んでいた。
輔子はかつて安徳天皇の乳母(めのと)で、大納言典侍局(だいなごんのすけ)と称していた。
壇の浦で入水したが、建礼門院とともに捕らえられて京へ戻され、その後、姉の成子(しげこ)とともに日野でひっそりと過ごしている。
そんな時、「重衡の露の命は、草葉の先にひっかかって、まだ消えていない」という噂を耳にして、「もう一度、姿を見たい」と日々願っていたが、叶うはずもなく悲しみに明け暮れていた。
重衡は、護衛の頼兼に頼んだ。
「鎌倉からずっと親身に世話を焼いてくれたこと、とても感謝している。ついては、もう一つお願いしたい。私には子がなく、この世に思い残すことはないが、長年連れ添っていた妻が日野にいる。後世のことを話しておきたい。どうだろうか」
鎌倉武士とて、木石(ぼくせき:情を解さない)ではない。
「北の方に会われることに何の問題がありましょう。さあ、すぐにでも」
重衡は喜んで使いを出した。
一軒の家に声をかけた。
「大納言典侍殿は、こちらにおられるのでしょうか。重衡殿が奈良に向かう途中でお通りになります。お目にかかりたいと言っておられます」
思わぬことに驚いた大納言典侍が、「どこに、どこに」と走り出ると、藍摺の直垂に折烏帽子を着て、縁に寄りかかっている痩せ黒ずんだ男がいた。
重衡であった。
「夢かうつつか。どうぞ、どうぞ、こちらへ」
お互い声を聞くにつけても、先立つものはただ涙。
「西国で最期を遂げるはずが、生きながら囚われて京・鎌倉と恥を晒した。挙げ句の果てに興福寺の大衆に引き渡されて斬られることになり、奈良へ向かう途中なのだ。是非もう一度顔を見たいと思っていた。もうこの世に未練はない」
平重衡物語 [ 松本文雄 ]
¥1,200
楽天
レ・ミゼラブル / ああ無情 !!(上) [ ヴィクトル・マリ-・ユゴ- ]
¥756
楽天
久しぶりに映画に堪能しました。
↧
平家物語の群像 重衡被斬①重衡、奈良興福寺へ
↧