元暦2(1185)年2月16日午前2時、
「そなたらが兵船を出さなくとも、自分は行く。暴風のときに急襲してこそ、敵を討てるのだ」
とはいえ、200艘のうちわずか5艘しか付いて行かないとは寂しい大将だ。
まさか、弁慶ら平泉以来の家来だけではないだろうが……。
「船に篝火 (かがりび) をつけるな。火が見えると、敵が用心する。わが船の篝火に従え」
義経は、夜を徹して屋島へ急いだ。
摂津国 (大阪府) の渡辺から讃岐国 (香川県) の屋島まで、通常3日かかる航程を6時間ほどで渡った。
それから義経は、屋島~壇ノ浦とさしもの栄華を誇った平家を滅亡に追い込んでゆくが、弁慶が活躍する場面はない。
長くつづいた治承・寿永の乱 (源平合戦) を終息させたことは、義経の大変な手柄だろう。
だが、平家が滅んだいま、軍事天才義経は政治家頼朝にとってもはや用済みであり、
自らの政治体制を築く上に邪魔な存在でしかなかった。
もちろん、義経は頼朝の体制作りを意識して妨害しようとしたわけではなく、兄の政治的意図を理解できなかっただけだ。
梶原景時が、讒言によって兄弟仲を裂いたといわれているが、それは些末なこと。
本質ではない。
その辺については後日、『源頼朝』 の項で触れたい。
頼朝に追われる身になった義経は、捲土重来を期して、いったん西海 (九州) に退くことにした。
摂津国の大物浦 (だいもつうら 尼崎市) から船出するが、すぐ暴風に遭って船が難破した。
『平家物語』 は、義経に滅ぼされた平家一門の怨霊の仕業とみる。
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