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平家物語の群像 弁慶④船頭や水夫どもを射殺せ

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$吉備路残照△古代ロマン-源平逆櫓論  浮世絵 『源平逆櫓論』   月岡芳年 

義経が、「さぁ、者ども。兵船の修理が終わった。魚と酒をもちよって、祝いたまえ」と、酒宴をするふりをして、
兵船に兵糧米や武具を積み込んで、最後に馬を載せた。

そして、「すぐに船を出せ」と命じると、船頭や水夫が、「今は順風ですが、少し風が強いようです。
沖ではもっと強い風が吹いていることでしょう」と渋った。

すると、義経は激怒。

「沖へ出て、風が強いからと出陣を止めるわけにはいくまい。野山の果てで死に、海や川で溺れることも、すべて前世の宿命なのだ。向かい風のときに船を出せというのなら、義経が間違っている。追い風ではないか。
追い風が少し強いからと、これほどの大事に船を出さないとは。なぜ、そのようなことをいう。早く、出せ」

郎等らに、「船を出さなければ、船頭や水夫どもを射殺せ」と命じた。

伊勢義盛、佐藤嗣信、佐藤忠信、江田源三、熊井太郎、武蔵坊弁慶ら、義経旗下の一騎当千の猛者が、
「殿の御命令だ。早く船を出せ。出さねば、残らず射殺すぞ」と、矢をつがえた弓を持ち、船頭や水夫の周囲を駆け回る。


どうも、義経は、「勝つためには何でもあり」 だったようだ。奇策はどんなにめぐらしても構わないが、
武士として人としてやってはいけない卑怯な手を使う。

ここ摂津の渡辺では、たまたま船頭と水夫を殺してはいないが、壇ノ浦では殺している。
平家方の兵船の動きを止めて自由を奪うために、非戦闘員である船頭や水夫をまず射殺した。

これは、さすがに不文律とはいえ、ルール違反だったようだ。

また、壇ノ浦の戦いが源平の最終決戦だったから義経にとって幸運だったが、もし次の海戦があれば、どこの水軍も源氏には船を出さなかっただろうという側面もあったという。




船頭や水夫たちは、「ここで射殺されるも、沖で死ぬも同じこと」と、200艘のうち5艘が出港した。

195艘は、梶原景時を恐れるか、強風に怖気づいて出さなかった。


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