『吾妻鏡』 (吉川本) 右田弘詮の序文
壇ノ浦の戦いの戦勝報告の中で、景時は頼朝に上記のようなことを書き送っている。
鎌倉幕府の公式記録 『吾妻鏡』 に収めてある。
九郎判官義経殿は独断専行でわがままで、われわれは困り果てているという趣旨である。
これが、いわゆる 「梶原景時の讒言 (ざんげん 告げ口) 」 と呼ばれるものだ。
『吾妻鏡』 はまた、「義経の独断とわがままな振る舞いを恨みに思っていたのは、景時だけではない」 とも記している。
実際、景時以外の義経に同行していた諸将も、だれひとり頼朝に対して義経を弁護していないようなのだ。
戦場で大軍を動かす 「大将軍意識」 をもてなかった分、
陰にこもった 「源氏の御曹司」 とでもいうような意識が働いて、諸将との間に壁を作ったのだろうか。
そういえば、後日、頼朝と決裂した義経が、後白河法皇から頼朝討伐の院宣を得て挙兵したときも、
朝敵・頼朝を討つ官軍であるにもかかわらず、応じてきた武士はほんの僅かしかいない。
後世の人気と、在世当時の人望には大きな隔たりがあるようだ。
元暦2年9月、梶原景季 (かげすえ 景時の嫡男) が上洛して、源行家追討の命令を伝えるために義経の邸を訪れると、義経は病と称して面会を断った。
一両日後、改めて面会に行くと今度は通されたが、義経は脇息にもたれて灸をすえ衰弱した様子。
体力が回復するまで、行家追討は待ってくれるよう頼んだ。
鎌倉に戻った景季が、頼朝に義経の様子と言葉を報告すると、景時が頼朝に言上した。
「義経殿が面会を一両日遅らせたのは怪しい。
その間に食事を断って、わざと衰弱してみせたのでしょう。行家殿と通じているに違いありません」
土佐坊昌俊 (とさのぼう しょうしゅん) が、義経暗殺に派遣された。
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