視線の先は霊峰富士 蛭ヶ小島公園 (頼朝の配流地)
文治元(1185)年、北条時政は、頼朝の代官として都を守護していた。朝廷との交渉とともに平家の残党狩りが、主要な任務である。
「平家の男子を差し出した者には、好き放題に褒美を取らせる」 という触れを出すと、京中の者が平家ゆかりの男子を捜して回った。
低い身分の子でも、色白で美しい顔立ちをしていると、「○○中将の若君だ」、「○○少将の公達だ」 などと言い募っては、褒美にありつこうとする。
幼い者は水に沈めたり土に埋めたりして殺し、少し大人びた者は締め殺したり刺し殺したりした。母親の悲しみや、乳母の嘆きは例えようもない。
平家一門の遺児の中でも、別格の存在がいる。平清盛ー重盛ー維盛ー六代とつづく、平家嫡流の嫡子・六代である。
清盛が非情に徹することができず、頼朝を助けたばかりに平家は滅び去った。いつ立場を逆にして、同じことが起こるかも知れないのだ。
時政は、部下に命じて都中を探させたが、どうしても見つからない。そんな時、ある女房が六波羅に来て密告した。
「遍照寺の奥の大覚寺という山寺の北の菖蒲谷という所に、維盛様の北の方と若君と姫君が、暮らしておられます」
「まことか!! それは、いいことを聞いた」
さっそく部下をやって、様子を探らせると、ある宿坊に多くの女房と幼い子供たちが人目を忍ぶようにして住んでいる。
生垣の隙間からのぞくと、庭へ走り出た白い子犬を追って、世にも美しい幼い男の子が出てきた。乳母らしい女房が、「若君、なりません。人が見ているかも知れません」
あわてて中へ引き戻した。
部下は、六代に間違いないと確信、時政に報告した。
翌日、時政は軍勢を率いて菖蒲谷を囲んだ。
(原文) 「平家小松三位中将維盛卿の若君六代御前のこれにまします由承つて鎌倉殿の御代官として北条四郎時政が御迎に参つて候ふ。疾う疾う出だし参らさせ給へ」
「維盛殿の若君・六代様がこちらにおいでの由をお聞きして、源頼朝の代官・北条時政がお迎えに参りました。急いでお出まし下さい」
母親の建春門院新大納言は、気が動転した。
斎藤五宗貞と斉藤六宗光が周囲を走り回って様子を見ると、武士たちが四方を取り囲んでいて逃げようがない。
母は六代を抱え、「私を殺して下さい!!」 とわめき叫んだ。
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