平家の大軍が平等院へ攻め込んで激戦になると、頼政らは以仁王を南都・奈良へ逃がした。
頼政は齢77にして戦うが左の膝頭を射られ、「もはやこれまで」と自害しようとしているところに、敵勢が襲いかかった。
次男の兼綱が父を助けようと防戦するが、上総守太郎判官の放った矢が、兜の正面の内側を射る。
兼綱がひるんだところに、上総の守が召し使う次郎丸が萌黄匂の鎧を着て、しころが3枚ある三枚甲の緒を締め太刀の鞘を抜き、馬を並べてむずと組むと一緒に馬から落ちた。
兼綱が次郎丸を取り押さえ、太刀で首を掻いて立ち上がろうとしたところに、平家勢が14、5騎押し寄せ兼綱を討ち取った。
嫡男の仲綱は、激しい戦いで深手を負い、寝殿造りの西の廊の南端にある釣殿で自害。下河辺藤三郎清親が、仲綱の首を大床の下へ投げ入れて、隠した。
六条蔵人仲家と、その子の蔵人太郎仲光も、同じ場所で討ち死にした。
仲家は、故源義賢 (よしかた 木曽義仲の父) の嫡子。
義賢が甥の義平 (頼朝の異母兄) に討たれて孤児となったのを、頼政が養子にして、ねんごろに養育した。
頼政が渡辺唱 (となう) を呼び出して、「わが首を討て」 と命じると、
「命じられても出来ません。自害なさった後ならば」
頼政は、それならばと西の方角へ向かって手を合わせ、「南無阿弥陀仏」と声高く10遍唱えて、最期の歌を詠んだ。
○埋れ木の 花さくことも 無かりしに
身のなる果てぞ 悲しかりける
(訳) 埋もれ木の花が咲くことがないように、私の生涯も時めくこともなく、最期もまた悲しいことだ
太刀の先を腹に突き立て、うつ伏せになって絶命した。
頼政の首は、唱が石に括り付けて、宇治川の底深く沈めた。
平家の侍大将・飛騨の守影家は、以仁王が奈良へ逃げたに違いないと、4、500騎で追いかける。
光明山の鳥居の前で追いつき、雨のように射かけた矢の1筋が、以仁王の左の脇腹に命中。王は落馬、首を討たれた。
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