平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像
その日の足利忠綱の装束は、朽葉の綾の直垂に赤威の鎧を着て、鹿の角を高く立てた兜の緒を締め、黄金作りの太刀を佩 (は) いている。
24筋差した切斑の矢を背負い、滋藤の弓をもって、連銭葦毛の馬に、柏木にみみずくの模様を施した金覆輪の鞍を置いて、乗っていた。
★ 古典文学には、貴族や武士の服装や武具の説明が必ず出てきます。読み流したくない方、映像として思い浮かべたい方は 『国語便覧』 を手元に置いておかれたら便利です
あぶみを踏ん張りながら立ち上がって、大音声をあげた。
「むかし、朝敵・平将門を倒して勧賞にあずかり、名を後世にまで留めた俵藤太 (藤原秀郷) 10代目の末裔、下野国の住人、足利太郎俊綱の子・又太郎忠綱、17歳が参上」
「無位無官の者が、以仁王に向かって弓を引き矢を放てば、天の恐れが少なからずあろうが、弓も矢も仏の加護も、今は平家にある。頼政殿の配下で、
われこそはと思わん者は参られい。相手になろう」
そう口上すると、平等院の中へ攻め込んだ。
平知盛が忠綱の目覚ましい活躍を見て、「渡れ、渡れ」と命じると、28000騎あまりが一斉に宇治川を渡り始めた。
速い流れが、無数の馬筏にせき止められたようである。
雑兵たちは下流の馬筏に取りついて渡ったので、膝から上を濡らさない者も多かった
伊勢と伊賀の官兵は、流れに馬筏を壊されて600余騎が流された。
萌黄や緋縅、赤縅など色々な鎧が浮いたり沈んだりしている様は、大和の国の紅葉の名所神南備山の峰の嵐に誘われた紅葉葉が、秋の暮れに龍田川の堰にひっかかって、たゆたっている様子にそっくりである。
その中に緋縅の鎧を着けた武者が3人、漁師の仕掛けた網代に引っかかって、浮きつ沈みつしながら揺られていた。
その様子を、源仲綱が詠んだ。
○伊勢武者は みな緋縅の 鎧着て
宇治の網代 (あじろ) に 懸りぬるかな
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平家物語の群像 源頼政⑭伊勢武者は皆緋縅の鎧着て
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