源氏物語名場面㊼
玉鬘 弐
都府楼跡/太宰府政庁正殿跡
◇
【都府楼跡】
には2、3度足を運んだことがありますが、
後年同地を整備したのであろう
【太宰府政庁正殿跡】
には訪れたことがありませんでした。
■
7世紀後半
から12世紀後半にかけて
九州を統括する行政機関として機能
し『西の都』としての役割も果たしました。
福岡県太宰府市公式ホームページ
《遠の朝廷》とも
🔲
幼い玉鬘は母親/故夕顔が恋しいのか、
何度となく乳母にたずねた。
「このお舟、母君の所へ行くの?」
返事ができずに乳母
や娘たちがすすり泣くので
太宰少弐が低い抑えた声で制した。
「舟路に不吉だから、泣くのはやめなさい」
■
筑紫の《大宰府》に着いた。
乳母と娘たちは遥かな都を
思って懐かしさに涙することもあるが
玉鬘を
心から大切に思って暮らしている。
夕顔の行方が分からないまま
都を離れたので
なおさら玉鬘が寂しい思い
をしないよう心を配っている。
■
大宰府で暮らすこと17年、
玉鬘は成人して
母の夕顔以上に美しく成長した。
草深い田舎育ちとは思えないほど
垢ぬけていて気品があり
秀でた歌を詠む教養人でもある。
九州北部の
有力者たちから求婚者が引きも切らない。
任期が終って
帰京しようとした矢先、
太宰少弐が急な病で倒れた。