武家平家系図 クリックで拡大
平教経(国盛)は、源義経のライバルとして描かれている。
数々の合戦において抜群の武功を上げ、「王城一の強弓精兵」で、「一度の不覚も取ったことはない」。
平家の公達(きんだち)としては、珍しい存在である。
都落ちしてからは、水島の戦いや六箇度合戦、屋島の戦いなどで獅子奮迅の活躍をして義経軍を苦しめた。
最期は、壇ノ浦の戦いで暴れ回った末に、義経を追って組もうとしたが、八艘飛びでヒラリとかわされ、やむなく30人力の男ふたりを両脇に抱えて入水した。享年26。
教経は、忠盛(ただもり)の三男・教盛(のりもり)の二男。兄に通盛、弟に仲快(ちゅうかい)、業盛(なりもり 成盛)、姉妹に藤原成経の妻、教子(のりこ 能子)など。
最終官位の正五位下能登守にちなんで能登殿と呼ばれた。
…… ……
○およそ能登守教経の矢先に回る者こそなかりけれ。矢種のあるほど射尽くして、今日を最後とや思はれけん。
だれも教経の矢面に立つ者はいなかった。今日が最後と思ったか、全ての矢を使われた。
○赤地の錦の直垂に、唐綾縅の鎧着て、厳物(いかもの)作りの大太刀抜き、白柄(しらえ)の大長刀の鞘をはづし、左右に持つてなぎ回りたまふに、面合はする者ぞなき。
赤地の錦の直垂に唐綾縅の鎧を着て、厳物作りの大太刀を抜き、白木の柄の大長刀の鞘をはずし、左右それぞれの手に持って敵をなぎ倒していくので、面と向かう者がいない。
○多くの者ども討たれにけり。 多くの敵兵が討たれた。
○新中納言、使者を立てて、「能登殿(のとどの)、いたう罪な作りたまひそ。さりとてよき敵か」とのたまひければ、
知盛(とももり)が使者を遣わして、「能登殿、あまり罪を作りなさるな。そんなに立派な敵だろうか」とおっしゃったので、
…… 原文に忠実な訳ではありません ……
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平家物語の群像 平教経①能登殿、いたう罪な作りたまひそ
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